2022.11.20
自分であり続ける

橋本 和典

カメラマン

シャッターの時大事にしているのは、 
じっと見つめること、
それをしっかり忠実に記録すること。
 
感じていたいのは、
光のグラデーション、
心のコントラスト、
  
その人をそのままに、
家族を客観的に、
  
原動力は好奇心、
  
フォトグラファーというより、
しっくりくるのはカメラマン。

https://kazufoto.com/

カメラマン 橋本和典さん  


――水のたまインタビュー、今日はカメラマンの橋本和典さんに来ていただきました。橋本さんには私(堀場)のプロフィール写真やイマココ・ストアのイメージ写真なども撮っていただいています。橋本さん、今日はよろしくお願いします。
では、改めまして、簡単に自己紹介をお願いします。


はい、僕は写真を撮ることを仕事にしていて。まあカメラマンですね。職業何ですか?って聞かれたらカメラマンっていうふうに答えてます


――カメラマン歴はどのくらいになりますか?


カメラを初めて持ったのは、僕、電車好きで電車を追いかけて写真撮ったのが10歳ぐらいからで。もうちょっと本格的に一眼レフっていうカメラを持ったのが中一ぐらいから。

それで学生時代も細々とフィルムで、お金貯めながら写真を撮って。ですから、それ以来カメラは手放してないです。

なんか10歳ぐらいから近くにずっとカメラがありますね。もう50年ぐらいですね。


――子供の時からカメラを手にしていたということは、ご両親の影響もあったのでしょうか?


そうです。父親がいわゆるカメラ道楽で。

多分すごい下手だったと思うんですけど、めちゃくちゃいいカメラ持ってたんですよ。

蛇腹のこう、パカって開いて撮るような、大正時代みたいな、そういうカメラがうちにあって。

もう今で言うと骨陶品で博物館に入りそうな。そういうカメラが家にあって、それを兄が喜んで使ってたんですよね。

僕はまだその当時3歳ぐらいだったと思うんですけど、文京区の本郷にその頃いて、兄はそれで都電取ったりとかしてましたけど。

そういうのを見ていて、「家でちゃんと使えるカメラを買おうか」って言って。「和典が電車でも撮るんだったら」っていうのもあったと思うんですよね。

こんなちっちゃいオリンパスのペンっていうカメラで撮ってました。


――そのカメラが身近にあった少年時代から大人になって、そのままカメラマンになったのですか?


高校大学と普通に勉強して。理科系なんですね、僕。

それで普通に勉強して、写真を趣味でやりながら、特に大学生の時は結構それなりに写真撮ってました。写真を趣味でやりながら、コニカに勤めましたね。

やっぱりどっかで写真に関係ある会社に行きたかったんでしょうね。

理科系の勉強を生かして、電子工学の分野で、設計みたいなことをやったりとか、研究開発っていうんですかね、そういうことをやってました。

――では、就職してから、カメラマンになったのは、なにかきっかけがあったのですか?


まあ、コニカって、カメラの会社ということで入ったけど、やっぱり写真撮るのとは違う。仕事は仕事なりの厳しいこととか、いろいろ辛いこともあって。

それで夏休みだとか正月休みだとか、休みの時にどっか旅行に行って撮ったりとか、旅をしながら撮ったりっていうので、なんとか繋いでたんですけど。それで我慢できなくなっちゃったんですよね。

ずっと撮っていたい。ずっと撮ってる方がいいなと。

で、会社でお金を稼いで、そのお金を自分の旅とか写真撮る費用に回してっていう、そのサイクルがもうまどろっこしくなっちゃって。お金があんまりなくてもいいから、写真で回したいっていうふうに思って。

そう思ったのが28ぐらいの時かな?それがピークになってたんだと思うんですよね。

◆ 青年海外協力隊へ ◆

――では、28歳の時に会社を辞めてカメラマンに?

いや、違います。28の時に何があったかっていうと。

北海道を旅してた時の旅仲間が、女の子だったんですけど。青年海外協力隊で南米のパラグアイに手仕事を教えるというので行くというのを聞いた。僕全然知らなかったんですよ、そういうの。

「何?何があるの?」なんて聞いてたら「これこれこういう仕事するんだよ」

「写真とかの仕事もあるんだよ」ってぽろって言われたんですよ。「え、そうなの?」って聞いて。

その時、写真を撮るのに1番行きたかったのがモルディブだったんですよ。写真でモルディブに行けるんだったら僕も受けちゃうかなって。そのまあ、お酒の席でそんな話をして。

「JICA(海外協力隊)は年に2回募集要項が出るから調べてみたら?」って。

その翌月ですよ。募集要項出たので取ってみたら、募集がだいたい1000名出るんですけど、1000名の中で1名写真の仕事が出てて。それがモルディブだったんです。


――わ!すごい。


ああ、じゃあ受けようと思って。当時、僕、新婚半年ぐらいだったんですよね。

でも何の迷いもなく、「これを受けようと思うんだ」って。で「受かったらどうすんの?」って言われて。「受かったら、そうか!受かったら行くか?そうか。。。」とか思いながら。「でも受かったらそう流れなので受かったら行くよ」って。

――そして、晴れて受かった。


受かっちゃいましたね。すごい努力しましたけど。

ていうのは、僕。モルディブ政府はカメラマンみたいな人を多分望んでるはずだと思ったんですね。僕は言ってもアマチュアなんで。アマチュアでまあちょっと上手な方ぐらいの感じだと思ってたので。

ただそのモルディブの要請が写真を撮ってくれっていうんじゃなくて、指導をしてくれっていう内容だったんです。じゃあ僕は大学で勉強もして、マスターも取って、教えることもまあまあ好きだと。で、もしかしたら脈あるかもしれないと思って。そう。一生懸命勉強して。

――では、モルディブではカメラマンとしてではなく、写真撮影を教えてた?


そう、指導です。それもすごい緩い指導で。学校で教えるとか大学で教えるとかではなくて、日本で言うとカルチャーセンターですね。そういうところに写真コースがあって、政府のカルチャーセンターの写真コースで「こうしよう!自分でプログラム組んでやりましょう」っていう。

――その海外での経験がものすごく今生きてるのですね。きっと


生きてると思います。それは写真の技術とかじゃなくて、人生の身の処し方っていうか、

――例えばどういうこと?


そう、まずなぜ協力隊を受けようかと思ったのか?

まずはモルディブで写真だからっていうのは一つ大きいんですけど。

自分がどこでもやっていけるか?お金がなかろうがやっていけるっていうことを試したかったんですよ。だから行って、それが2年間できれば会社辞めても、なんとかなるだろうなと思って。

◆ カメラマン プロデビュー ◆

――そして、帰国後カメラマンデビュー?


カメラマンデビューって何かって言うと。「プロとしていつデビューしたんですか?」って言われたら、おそらく名刺を作った時から。

自分で橋本写真事務所っていう名前をつけて、それで名刺を作った時がプロデビューだと思うんです。

そういう意味で言ったら帰国して失業保険を半年もらった直後にデビューですね。名前、肩書はつきましたね。自分でつけただけです。

会社員をやっていると、仕事を探すって、分かってるようで、多分何も分かってなかったと思うんですよね。

名刺を作りました。ホームページも作りました。それで自分の作品をホームページに載せて、「こんな写真撮れますよ」ってやったって、まあ無人島に旗立ててるぐらいの感じですよ。

まあ誰も見向きもしないし。

だから自分から出て行って、「僕のお客さんになりませんか」って言うしかないですよね。で、そういう活動を細々と。

それに気がつくまで、やっぱり2、3年かかったような気がします。

それまでは学校の写真の仕事で遠足に行ったりとか。

それはコニカ時代の同僚のお父さんが学校写真の会社やってて、そこにつないでもらって使ってもらいました。

――橋本さんの写真の特徴というか、橋本さんらしさをご自身で言葉にすると?


自分でそれを意識してるとか認識してるというよりも、言っていただけることで、よく耳に残るのは、光が綺麗ということ、まあ色も言われるかな?色が綺麗とかっていうこと。

あと僕は人物の撮影がお仕事ではメインなんですけれども、まあリラックスした感じっていうんですか?自然な感じでそこに人が写っているということは言っていただくようですね。


◆ 幼少期を振り返る ◆

――人をリラックスさせるコミュニケーション力は、幼少期から?最初からもって生まれたものなんでしょうか?

これ難しいところで、うーん。

子供の時からそういう陽気で、社交的かっていうと全くその逆で。

僕、まず幼稚園の時代は幼稚園に母親に連れて朝連れてってもらうと泣いて母親にしがみついて、「やだやだやだ」って泣いて。

引っぺがされて、母親が帰っていって。幼稚園だから多分おそらく午前中ぐらい過ごしてたと思うんです。その時間は自分のことをなぜか面倒見てくれてたガキ大将みたいな男の子がいて、その子にくっついて歩いてましたね。

で、こんなに弱っちい自分っていうのは別に居心地も良くないんだけど。でも卒園する頃までほぼ泣いてたと思いますよ。僕。

それで小学校に上がる時にその幼稚園から僕の上がった小学校には同じ友達が行かなかったんですよ。で、小学校に行くと新しい世界に入るっていうのもあって、別にだからというわけじゃないんですけど。

僕、小学校に上がる時にどっかで自分でスイッチを変えようと思ったと思うんですね。それで今度は泣かなくなりました。

でもやっぱり心細いんですけどね。1人で学校で。特に40人もクラスにいて、その中で教室に座ってたりすると、すごく心細かったと思います。

でもそこから逆に一度も泣いてないです。それが一つのスイッチ。

でも僕、極度の恥ずかしがりで内気だったんですよ。

それで先生が「分かる人?」って、子供なんて元気だから「はい!はい!はい!はい!」って手をあげるじゃないですか。僕はあれができなくて。

それを中学まで引っ張ってて、僕、小中の9年間で一度も手あげらんなかったです。自分で答えを言えない。


――想像できない。

できないでしょう。


高校は、「はい、はい、はい」って手を挙げる世界じゃないから。授業聞いてテストを受けて、それでまあ成績が決まってくるけど。小学校の通知表なんかはやっぱり「もうちょっと積極的になれるといいですね」とか書かれ続けてた。密かに母親がちょこちょこと担任の先生と学校で話し合ったりしてたみたいですよ。

◆ 「見る」 ◆

――でもそんな橋本さんが人の魅力を引き出すのがお上手っていうのは?

うん、それはなんかこう、多分・・・。
そこ、それこそが僕だと思うんですね。

僕ね、幼稚園の時も小学校の時も中学校の時もまあ高校の時も、あんまり喋ってないんですよ。まあ友達はいたんですけど。自分からは人前で話したりとかできないっていう感じだったんですね。

で、黙ってるんです。休み時間も黙ってることが多かったんですけど。

ただね、僕、今にして思えばなんですけど、見てましたね、みんなをものすごい見てました。じっと。黙って。

こんなことやったりとか、あそこで喧嘩してるなとか、何でも他愛もない話してるなとか、楽しそうに話してるなとか。

それが羨ましいでも馬鹿にするでもなくじっと見てましたね。

それは今でも同じです。僕、すごい見てます。

電車に乗った時に座って向かいの席に親子連れが座ってますとか、そこで子供がお母さんに甘えでも叱られてますでもいいんだけど、そういうのもわりとじっと見てますね。

で、そこで見てなんか感じてるんですよ。感じて、まあいろいろ思い、ああしたらいいのにな、こうしたらいいのにとか思うこともありますけど。

主にはただ映像としてぐーと流れてる感じでね。割と音を切って見てる感じなんですよ。映像を見てる感じなんですね。

ずっと小学校中学校とかから溜め込まれてるそれがあって、でもそういうのを見てなんか感じてるっていうのは誰も分かんなかったはずなんですよ。

で写真になった時に見てた時の思いとか、僕の物の見方が一気に溢れ出したんだと思います。

だから今、僕は、表現の手段がカメラがあるから、僕がどういう人か、こんなふうに物を見てる人なんだねって分かっていただけてると思うんですけど。

カメラと出会えてなかったら、「なんかあの人喋んないでずっと黙って、わけわかんない人だよね」と終わっちゃってた可能性もありますよね。例えば普通に会社行ってもそんな感じだった可能性ありますよね。

――そんな橋本さんがカメラを手にすると、カメラの向こうにいる人の自分が気がついてないような魅力を引き出すのがすごい上手な気がするんです。


どうなんでしょう?まあ、「その人をよく引き出す」とか、「本当のらしさを引き出してくれるカメラマンさんですね」とか言っていただくこともあるんですが。

僕はそこまでは考えていなくて。あくまでも僕はこういう風に見てますということ。

子供の時からかれこれ60年近く黙ってずっと見てきた人生

その僕が見たものを、カメラの技術、それこそ蓄積された10歳からずっと50年間カメラ持ってるその技術で、僕の中の見ているものをできるだけ忠実に写真として再現したものを、写真として再現できるその僕が、「見ているものをお届けします」という。

だからそれが欲しいという方はいいんだと思いますね。

――ということは、やっぱり橋本さんの心に感じていることが、写真から伝わってくるということなんですね。なるほど!

◆ 24年を振り返る ◆

――ところで、プロデビューして、苦しかった、つらかったことはありますか?


稼げないことに尽きるでしょうね。

初年度は10月に立ち上げて。初年度はもう年収も何もない、ただなんとなく立ち上げて、ただ日にちだけ過ぎていくぐらい。

翌年から学校の仕事をやったたりとかし始めて。その翌1月から12月の初年度の売り上げが、60万円しかなかったんですよ。

それなりに、コニカって名前の知れた会社だから、若かったとはいえ30いくつかで、何100万かもらってたのが60万って。「あぁ、こんなに稼げないもんなんだ」っていうのはありましたね。


――それが長く続いても、諦めずに続けられたのは何がそうさせたのですか?。


いや、諦める諦めないっていうより、他のことをやることは全く・・・考えなかった

ただね。最初の3年ぐらいはIT系の会社でアルバイト。パソコン使ってプログラム組んだりとか。あとはコニカ時代にそれなりにほかの会社の人とお付き合いもしてたので、例えば電話応対とか何しても1通りあるレベルでできてるので。アルバイト時給千何百円とかでやったりはしてましたね。


――逆に20何年の歴史の中で、ひときわこの仕事は嬉しかった!「やった!」みたいな達成感を感じたことってありますか?。


ない。ないですね。この仕事は嬉しいってどういうことで思うのかな?

自分の成長を測れるような感じですかね?


――私の記憶だと、吉祥寺のアトレのポスターに採用された時、私は人ごとながら、すごく嬉しかったですけど?

はいはい。
あれは、すごいですよね。あの時は、電車の中に僕の写真がばーっと中吊りでね。ずっと出てて。都内の電車みんなに入ってた。

それはね、自分が「あぁ、あここまで来たんだ」っていう嬉しさよりも、その時子供がいたので子供に見てもらえるのが嬉しかったですね。


でもね、結局、今、「自分で仕事で嬉しかった仕事なんですか?」って聞かれて思い出さないぐらいのことですよね。

むしろもう、今日昨日やった仕事とか明日どういうカットを撮るかとかそっちの方がずっと考えてる感じです。


◆ これから ◆

――これからやりたい、取り組みたい仕事は?


僕がまずは求められてること。僕が求められて僕だからこそできると思う人と出会えて、そこで仕事ができればいいなということですかね。

要するに、自分が1番力を発揮できる場所に行きたい。それは実力はその日のためにずっと積み上げていくもんですけど。そういう仕事に出会いたいと言うか、「こんな仕事できて、自分は幸せだな」っていうところで撮影したいですね。

――まだまだここから先が長いと思いますけど、自分が生きてきた道が作品となって残っていくって、いいですね。


だから、写真を見ると、自分がどんな顔してるか見えないから分かんないけど、その時の自分の状態、自分の気持ちは思い出せますよね。空気感とか。写真の力ってそれがある。

だから僕、自分の写ってる写真ってすごく少ないんですよ。例えば仕事してる時に僕の後ろから「橋本さんの撮影風景です」って言って撮ってくれて送ってくれる方とかはまあいらっしゃいますけど。

自分を真正面から撮りますって言って撮られることってあんまりない。

――そういえば、まもなく海外に行かれるとか?

新しいご縁の流れも来ていると伺いましたが。

友成さんっていう方がいらっしゃって。僕と同年代の日本人なんですけどね。

僕が25年前にガーナで青年海外協力隊員で仕事をしてた時に、JICAの職員でやはりガーナにいらっしゃった方。

彼は何をしていたかっていうと、JICAの仕事休みの日曜日になると、ガーナの人達に野球を教えてたんですよ。それは野球をやりたい人に野球を教えるというよりも、野球を全く知らない人に野球の楽しさを教えるっていう仕事。ルールも何も知らないっていう状態ですよね。その人達にずっと丁寧に教えてた人で。

その人に「朝日新聞の取材を受けるからちょっと写真撮ってもらえませんか?」って言われて撮ったのがきっかけ。

それからずっと彼の活動がもう25年続いていて、また今回その方がJICAを辞めて、アフリカに野球を広めるという活動にもう人生賭けてる。本当に人生賭けてる感じですね。

タンザニア甲子園」っていう名前で、青少年の全国大会が開かれるところまで行っていて、その模様とか現地での指導風景とか撮影で行ってほしいというので2週間まあ20日間ぐらいですかね、タンザニアに行きます。初めての国ですね。僕は。

――それは楽しみですね。そして新たなご縁の流れは?

僕ね、仕事がここ何年か、だんだん「こういう仕事がしたいな」っていう方向に来てる

先ほど言った、自分が本当に求められる所とか、本当に撮りたい物を撮るとか。来てるなと思ってるんですが。

アフリカに野球を広める日本人の姿を撮るというのもそうですけど、今北海道で馬と一緒に暮らして農業をやってるご家族がいらっしゃって。その方はドキュメンタリーを撮るような感じで通わせていただいて撮ってたりとか。

そういう出会いが今増えてきてますね。

最近、これが今後どうなっていくか分かんないですけども、今年に入って農業の現場を撮る撮影が、その馬の方も含めて6件入ってまして。

もしかしたら僕の今後の人生の関わり方に農業っていうのがキーワードになってくるのかもしれないですし、そういう流れは感じますね。

◆ ゆるぎなく大切にしてきたもの「みずのたま」 ◆

――そんな橋本さんが今まで、ゆるぎなく大切にしてきたことがあるとしたら。、それは何でしょうか?


自分が揺るぎなく持ってきたものですか。

それができてきた。それをやってきたということまでは言い切れないですけど。自分の中で1番大事だと思っていることは、これは写真よりもっと大きな枠ですけれども、「自分であること」ですね。「自分であり続ける」っていうことだと思いますね。

要するに自分に嘘をつくと言うか、自分の本当の気持ちっていうのかな?なんかそれに逆らってなんかやってる時って、ちょっとざわざわしたりとか、結構引きずっちゃうんですよね。

で、そういうことのないように、魂みたいな言い方でもいいのかもしれないですけど、そこを大事にするっていうのか、そこに逆らわないような行動を取る

行動ですね。

だから今自分は何をしたらいいのかとか、多分こうするのが今の自分に1番いいんだろうなってことは大概分かってると思うんですよ。

で、その何パーセントも、例えばもしかしたら半分もできないくて、日々生きてるっていう意識があって。

そこをどこまで本当の自分に一致させられるかっていう、そのチャレンジの人生だっていう感じはありますね。

――なるほど。自分の魂と行動の一致ですか・・。そのチャレンジが人生。深いですね。今日はこれから横浜へ撮影のお仕事が控えているとか。お忙しい中ありがとうございました。

☆橋本和典さんオフィシャルサイト☆ ⇒ https://kazufoto.com/

(記事中で一部、橋本和典さん作品をご紹介いたしました)

自分の中から湧き上がるものに耳を澄ます
「自分が幸せそのもの」
私、いつも笑ってる
まず、自分を愛で満たす
「感謝」の声を聴く
「ほんとうのことが、知りたい」
「おかげさま」の祈り
死ぬ時が人生の最高峰(前編)