2021.12.6
「仕事を通じて恩返し」

 高宮 華子

書道家
日本書道教育連盟 師範

1975年生まれ。6歳より書道を始める。

18歳より和香会書道展に毎年出展し、
24歳で読売書法展初入選を果たす。
その後、入選・入賞は多数。

また25歳で日本書道教育連盟認定 書道師範になってからは、
「楽しくカンタンに字をキレイにすること」
「キレイな字が書けると人生はもっと美しくなる…」
をモットーに、日本橋、杉並の2ヶ所に書道サロンをオープン。

以来、 日本橋、杉並、三田、大崎、新宿御苑、目黒碑文谷、渋谷ヒカリエサテライトサロンのほか、

神奈川大学、共立女子大学などでも講師を務める。

TV・雑誌等メディアで、幅広く活動中。

短時間でキレイな字を引き出すためのスパルタ指導を得意としている。

著書に、
『まっすぐな線が引ければ字はうまくなる』(日本実業出版)
『くせ字・ダメ字が「いい字」になる練習帳』(かんき出版)
『九宮法トレーニングで字がうまくなる練習帳』(廣済堂出版)
『書き込み式美しい字になるボールペン字練習帳』(PHP研究所)
『書き込み式ボールペン字練習ドリル』(学研教育出版社)
『悪筆セラピー』(幻冬舎)がある。

プライベートでは二児の母。

■3分で美文字になれる!書道教室 書道のはな*みち 運営https://hana-michi.com■

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『悪筆セラピー』(幻冬舎)

―自己紹介を兼ねて今のお仕事を教えてください。

スパルタ書道家として、字に悩んでる方や悪筆で悩んでる方に、たった一回のレッスンで文字が上達する「書道はな*みち」という書道教室を主宰しております。

個人で始めてから今年でもう19年目になりまして、述べでは5万人以上の方に受けて頂いています。

また東京にお教室があります。日本橋を中心に田町、あとは新宿とか大崎とか、数か所お教室があります。最近は関西でもお稽古をしていまして、大阪京都神戸などでも時々出張レッスンをしています。

――自称「スパルタ」って?(笑)

よくみなさん、聞かれるんですけれども。まぁ、見た感じも(笑)スパルタだと思うんですけどね(笑)。結果をだすということなんですね。

字っていうのは長い道のりで上達するのにすごい時間がかかると思われてるんですね。

プロの書道家になるとかプロの書道師範になるのは当然何十年もかかるんですけど。

皆さんが日常の字を書くときにコンプレックスを無くして「自分の字が好きだわ」とか、「毎回こんな字でごめんなさい」っていう風に言わないで自信を持てたら、っていうのがひとつ。

これが大人の方だったらたった一回の、極端な話3分でも大丈夫なんですね。

字を書けて、日本語が分かって、読めてっていう方であれば大丈夫ですよって。

ただし一緒に結果を出していこうねっていうことでその3分はちゃんと集中してやってくださいっていう意味を込めてスパルタという風に名前を付けてます。

――文字を変えることで人は変わっていくのですか?

それが、かなり変わっていくんですよ。

自分の字に自信がないっていうことは自分に自信がないというのと同じことなんです。

字というのは脳の中にあることしか出てこないですね。だから例えば「アラビア語を書いてください」って言われても知ってる方じゃないと書けないじゃないですか。

漢字も「薔薇って書いてください」って言われたら多分読めると思うんですけど、書くってなったらちゃんと脳に記憶されていないと書けないですね。

そのぐらい、脳と手というのは直結してるわけです。

それを支えてるのは気持ちで、だから書くご本人の性格とか感情とかが前に出るわけですね。

ありのままの自分が字には出ちゃうんですね。

だから書く言葉が例えば美しい言葉であったり自分の名前であって内容が良くても、書いてあるその点とか形とかバランスっていうのは内面が出るんですね。だからもうほんとありのままで、字は嘘つけないわけです。

なのでそこを変えていくとやはり自分の内面が磨かれて、より自信がついてくるということ。人に対しても優しくなれたりとか自分に自信が持てて行動力が上がったりとか。

そういう風に字をきれいにすることで得られる付加価値というか、それはもうすごくたくさんありますね。

――ということは、字の書き方を教えつつ、一種のカウンセリング?

そうなんですよね。だからスパルタなんで!

実は内面を磨いてることですよっていうところですね、はい。

いわゆるお手本の字っていうのは標準的な美しさで、書写的な美しさです。

もちろん、それは必要なんですね。でもご自身の字って教科書通りの字とはちょっと違いますよね。自分の良さとか個性が出てる。

癖はとる。癖は読みにくかったり分かりづらかったりするので、癖は取らないといけないですけど。

自分の良さを活かすという意味で、癖をとり個性を伸ばす。

それは必ずしもお手本のような字ではないわけだから。

ああいう字が書きたいとうい方もいれば、ちょっと教科書みたいな字は・・・っていう方は当然いらっしゃるわけで。自分で字を書くための3分スパルタです 。

厳しくてすいません(笑)

――「書道のはな*みち」というプロダクションも作られて?

書を広めるということでは文化なんですけれども。「家に一人 美文字の人」ていうのをうちの教室では理念に掲げているんですね。というのは、どうしても(書道は)学校で習うだけとか好きな方は書道塾へ行かれたりしますけれども。文化の割にはやはり皆さんあんまり日常生活に支障がないかなと思うんですね。

書を広めていくためにはやはりなり手がいなければいけないと。

ただ私がすごくショックに思ってるのは書道家っていうのは職業としてあまり認識されてないっていうことですね。

例えば、プロ野球選手も、なれる方は一握りですよね。でもあれだけなんでみんな少年野球やるかっていうと、大谷翔平さんとかイチローさんとか。

そういう風に活躍していて特にやっぱり年俸何億とか。

金額の大小だけではないですけど、職業としてちゃんとやってるって言うことがメディアを通じたり活動を通じて皆さん知ってるわけですよね。だから小学校の文集に、プロ野球選手になりたいって、みんな書くわけですよ。

そこに書道家とかないわけですね。だれかいつか「書道家になりたい」って書いて~みたいな。

ということは、逆に私たち書道家がプロとして職業としてちゃんと背中を見せられてないんだなって。

職業として成り立ってない。それから、先生業っていうのが多いので子供達にとって先生ってちょっと職業と違うのかもしれないんですけど。

でもそれって実際見渡してみると稼いでる人少ないよねとか。それだけで食べてる人って少ないよね。

じゃあ私たちが言うのもおこがましいですけれども、でも、いち自立している人間として、もし仕事にしたらできるんだよって、自立できない人をお手伝いしたい。

そういう思いを込めて書道家のためのプロダクションというのを作りました 。

――スカウトキャラバン?スター発掘!?

書道家のためのプロダクションを始める時に、私は書道家のための独立開業コースとういのをやってたんです。つまり書道の技術はあるけれども例えば開業の仕方が分からないとか。

手続きとかは見ればいいんですけれども、実際集客できないとか、どうやったら生徒さんが来てくれるのとか。駆け出しの時に誰もお客さんはいないわけですよね。

だから書が上手なのにお客さんがいないっていうそういう状態にならないように。それを解決する開業コースというの作ったんですね。

最初そこの卒業生に入っててもらって、プロダクシォンのメンバーができて。ホームページも作ったら、募集してないんですけど履歴書を送られてきたりするようになったんです。

書道家になってみたいんですけれど、今はアパレルで働いていますとかSEをやっておりますとか。でも書道家としてもし食べていけるきるんだったらやってみたいので面接していただけませんか?みたいな人が来るわけですね。

実際面接してもらってご縁のあった方にはプロダクションメンバーで一緒にやりましょうって話をしてるんですけど。これって皆さんにお見せしたらどうなんだろうっていうのをちょっと思ったこともあり。書道家になりたい人はいます。

書道が広まってない理由として作品は皆さん見てるけど完成品だけ見てて作ってるところを見てないので。基本的に人がいたら作れないものなんですけど。でも、お客様ありきで目の前で買くということもオーディションとして大事だなと思ったので。

で、ホリプロさんがある!と。集英社とかで、その少年ジャンプとか週刊誌出ますよね。で、集英社さんもキャラバンやってるんですよ。だから東京にいるとチャンスに恵まれていて不自由しない。地方の方も来てくださるんですけど。

東京って全然そこにいると、出ていかなくてもお仕事できちゃうので、そこにとどまりがちなんですけど。あぁ、でもこうやって、まだ出会ってない方達に出会ってみたいなっていうのがあったので。じゃあこの面接を公開でやってみようということでスカウトキャラバン。ホリプロさんと集英社さんを見習って同じようなことができたらいいなと思って3年前から始めました 。

――キャラバンというからには全国へ?

はい!本当は全国47都道府県へ行きたいんです。けどそうするとあと47年間。私80とか90歳とか・・(笑)ちょっと間に合わないなと思ったので。余談ですけれど、うちのスタッフみんなもプロ野球が好きなので12球団のホーム球場がある所をまず回らせていただこうと思って。

最初その何回もできると思っていなくて、まず第一回をと、うちのサロンがある東京の新宿御苑ですね。近くにサロンがあるんで、そこでやったんですね。で、来年もやりたいってことになった時にキャラバンだから外に出ようという中で。ホーム球場回ろうと思って。一回目もう新宿でやっちゃった!あ、ヤクルトさんがあったんだ~って(笑)。

今年はヤクルトにしたので次は本当の順番で行ったらまぁ、次は名古屋だったんですけど。大阪でお稽古を始めたご縁があったので大阪でどうやら、借りられそうな素敵なところがあって。じゃ、阪神さん。次は3回目なんで神戸でオリックスという感じで、順番に回って最後はまた東京に帰ってきて。もうG球団の東京ドームで。日本はオレンジ色でファイナルにしたいなと。

そして世界も見ていますから。その後やっぱりニューヨークとかシドニーとか中国とかも行ってみたいな と思っています。

――そして、書は世界へ?

特にヨーロッパで注目度が高くて。余白の美に対する感性が高いので、いけるなっと

いう感覚はありますね。

――ところで、今の仕事の前は、何をなさっていたのですか?

実家が印刷会社をしていたので手伝いをしていました。その後は結婚してたこともあってちょっと正社員でその時は働けないなと思ったので派遣社員で不動産会社で営業をしてました。吉祥寺のエイブルさんも3ヶ月だけいましたよ。普通のOLさん。給湯室でみんなとおしゃべりするのが好きでした(笑)

――書道家になるきっかけは?

子供のころから書道家になりたいという方もいらっしゃるかもしれないですけれど、

わたし、お恥ずかしいことに「なりゆき書道家」で(笑)、ついなっちゃった。

子供の時から両親に小学校に上がったら、(書道教室に)行くようにって言われて。今の日本橋の師匠のお教室にみんな行くのが当たり前だったんですね。女の子はお習字で師匠のところに。男の子はそろばんかな、みたいに。両方いってる子もいました。だから小学校と同時に行くのが流れみたいな。何の疑いもなく。兄弟も順番に・・・って。素晴らしい師匠だったのでそこに通わせていただくことになりました。

皆受験とか塾が忙しかったり部活とかで辞めてくんですけど私の同期はみんな止めなくて。中学でテニス部入って、かなりハードなんですけど、やめないで、みんな時間の使い方がうまくて。なんか私もちょっと時間のやりくりが無理だなとか。同期で辞めない子は上手なんですよね。だからみんなうまいからやめないんだよね。私はあんまり上手くないし才能ないしやめたいなって。でもその先生に申し訳ない気持ちで。

挫折してたことも何回もあったんですけども。師匠が怖すぎて止めれないというか(笑)。そこは受け継いでいるかなと思うんですけど(笑)。他の友達が受験で辞めますって言う時に、止めないんですよ。「あら残念ね、またねっ」て。で、その子が帰った後に「あの子絶対第一志望受からないわよ」って、それがまた当たるんですよ。こわっ(笑)私は高校まで公立で受験しなかったんでね、受験もしないで止めたら街あるけない。(笑)

で、私なんかと思ってたんですけれども、師匠のおかげでなんとか止めれずにこれて、25歳の時に書道師範資格とうお免状をいただけたんです。大変でしたけど、これでやっとひとつ、師匠に恩返しできるかなっていう気持ちで、少しはほっとして、これから本当にそういう資格も気にせずお稽古ができるなと思って、ある意味気持ちは楽になって、派遣社員で働きながらお客様と触れ合うのが好きだったので営業職をしながらお稽古しながらって普通に楽しく暮らしてたんですね。

ところがなんですけど。・・・ところがなんですけれどね。

とある某カルチャースクールの校長先生がいらして、そのカルチャースクールっていうのは伝統芸能がいっぱい入ってたんですけど、書道だけクラスがなかったんです。おかしいなと思って、お茶もお花もあって、日本舞踊とか色々あって書道だけないわけないのでどうしてですかって伺ったらその時にね。書道はマイナーだから集客できないんだよって言われたんです。その台詞を聞いたらもう私は江戸っ子なんで、こう言う感じ(片袖脱ぐみたい)になっちゃって(笑)。

なに?って。マイナーって、集客できないってどういうことですかって。

「お世話になっている先生もいて教室もあるんだけど、ちょっと書道だけ全然埋まらないんだよね、だけどやっぱり集客できないのは経営上やれないから閉じてる」みたいなことを言われて。すごいショックを受けてしまって。が~んって。

それでね「いやぁ、それはあなたの教室が・・うちのお教室は200人ぐらいお弟子さん来てて、なんなら、待たされているくらいでパンパンなんですって。熱弁しちゃったんですよね。その方は黙ってて聞いてくださったんですけど「わかりました。あなたの教室は大盛況なんですね。うちも勉強させて頂きたいんであなたの教室のパンフレットをくれませんかって。」

うちの教室はって言ってたのは私の師匠のことであって、私はただ一生徒でしかない・・・。やばいっ。

師匠はその時には60過ぎていらしたので今から生徒さんをとっても師範まで面倒見れるかどうか年齢的にわからないからお弟子さんとってなかったんですね。

やばい、紹介もできない。どうしよう。

しかも私がこんなにキレたなんて、師匠には口が避けても言えない・・・困った。

で、これは私が悪かったなと。「わかりました。では後日お手紙を送らせていただきます」ってお話を終わったんです。

しかたなく、実家が印刷屋だったのでね、父に泣きついて、ワープロでね。まだ一太郎の時代ですよ。それで、原稿だけ作れば、印刷だけはしてやる、だからがんばれって言われて。

まだお教室名も決まっていない、お稽古日とか月謝とか。生徒はゼロです。全部仮に、ですよ、とりあえず体裁だけで、ちらし作って、筆でお手紙書いて、その方に送ったんです。

だから、なりゆきなんですよ。ごめんなさい!

その後全く音沙汰なくて、ご連絡いただいたのは2年後でした。

電話ぐらいはあるかなと思ったんですけど、何にもお返事はなかったんですね。1か月2か月たって何もないまま。なんか面接に落ちたみたいな気分になって。

でもそこで気づいたわけですよね。

マイナーって言われた時になんでこんなに悔しかったんだろうって思った時に、師匠に対する尊敬とかね、感謝とかいっぱいあったので、なんか師匠を侮辱されたみたいな気持ちになって。決してそうじゃないけれど。師匠のせいじゃないけれどもお教室も今もう誰も入れないから、もう内弟子だけなんですよね。こういう風に閉ざされていっちゃうんだなって思ったんですよ。

だからここをつなぐものが何かないといけないと思って。よしやろう !って思ったんです。あの、カルチャースクールの校長先生が、私をキレさせてくれたおかげで今があるという感じですね。

――起業後今年で19年。なにが一番、ご苦労されたことでしょう?

いかにマイナーじゃないんだけれども、マイナーだと言われたものをメジャーにするかって。だから上の人って言い方も変なんですけど、世間にこれを通すため自分がどういう風なスタンスでアピールしていたらいいか、すごい苦労しました。

27歳で書道家として起業したわけですけど、全然芽も出てない。書道教室は全国にいっぱいあるけれども。意識が変わるっていうことを私ひとりでできるわけもなくて。

自分も実績もゼロですから。どうしたらいいんだろうと。

その・・・ PR ですね。

PRが一番難しかった。

それは周りの大人が納得するためにはやっぱり結果しかないなと思ったんですね。だから、自称「スパルタ書道家」にして、メディアに出よう、本を出そうというのを決めました。

一番最初は起業してそれこそ2年目ぐらいの時に『まっすぐな線が引ければ字もうまくなる』って言う読めばうまくなる本。

練習ありきじゃなくて。そういう本はいっぱい出てたので理論で攻めようと思って。男性が電車の中で読んでも恥ずかしくないような表紙にして売るっていう事を声掛けていただけたんで。本が一番いいなと思ったんですね。実績としては。

著作は15冊になりました。

まだまだでございますけれども。既存の本だけではカバーしきれないところがたくさんあるので。練習神話っていうのがあるんですよね。壁打ちをすればうまくなるみたいな。嘘じゃないんですけれど。違うところに壁打ちをしても効果はでないので。私は理論が先だと思ってって。だから、その理論を先にお伝えするような本を今まで15冊出しています。

最新刊 「きれいな字を書くペン字術」成美堂出版

――テレビは?

テレビは定期的にお声かけいただいて。やはり理論なんで、普通はこういう書き方ですとか、サンズイはこう書きますとか。木へんはこう書きますとか、これは誰が教えても同じなんですね。字の基礎ですから。そうじゃなくてアプローチを変えているんで、理論だけでわかっていただくっていうそういうことがあるので。

おかげさまでテレビ局は全局ださせて頂いて。5年前はNHKのまる得マガジンにも出て、ひと番組持たせて頂きました。これは教育番組なので、本当に嬉しかったですね。

――個人がPRをうまくやれたのはなにか秘訣があったのですか?

私が出来ることはただ一つ続けることしかなかったので。その頃やっとブログとかホームページが個人で作れるようになってきた時代なので、ひたすら毎日日記を書いていました。活動報告とか、こういうことしたいってことも含めて。日記を書いてました。その頃はまだ書いてる人が少なかった。まだ会社の広報とかそういう感じのブログはあったけど素人では少なかったですね。

あと、まぐまぐの最初のころ。私のような無名のものでも審査さえ通ればメルマガを何千人と配信してくれた時代だったんですよ。とにかく発信を続けた。それしかできなかったんですよ。プレスリリースとかしてもはじかれるだけだと思ったので、ひたすら誰か見つけてくださいって、薄皮を積み重ねていったんです。

――もうすぐ20周年、今後の目標は?

いや、もうほんとに・・・。

書道で世界制覇っていうのが夢で。

うっかり世界征服って言いかけて、スタッフにたしなめられるんですけれど(笑)。

ほんとうに書道って、文化。文化っていくら高尚なものでもひとりひとりがやらなければ存在していかない。文化って継承なので、続いていかなければいけないとなると。やはり時代に合わせて。古き良きものをの残しながら、革新していく。

そういう意味では、私は外様大名をつくりたい!

全都道府県で活躍する書道家先生が、もっともっと増えてきたらいいなと。

皆さんに字をキレイにしますとか、レッスンしますとかはずっとずっとしてきているんですけど、それにはやっぱりスターとなる先生が必要。書道家先生も教えていらっしゃるだけでなく発信力が必要。自分の良さとか書道の良さとかを発信する発信力を磨いてPRしてもらいたいなということで。

外様大名とか世界征服とか、あの、言い方の圧が強くて申し訳ないんですけど(笑)、ほんとうに広げていきたい。それには実績とPRしかないかなと思っています。

――SNSでは、プライベートも含めて発信されていますね。それがまた素敵です。

子供たちをこき使っているのがばれちゃいますね(笑)

子供がいて大変、子育てが大変でできないとか。そうおっしゃる方が多いんですね。もちろんそれはそうなんですけれど、特に出産直後とかも自分の中の優先順位が細胞レベルで変わってくるじゃないですか。あとは体がいうこときかないとか、歩けないとか。それは当然ありますけれど。だから、ボリュームが変わってもいいから、やめないでほしい。書道を愛していたら、続けたかったらゼロにはしないで、0.1でもいいから、つないでいってもらって。子供はありがたくも成長しますから、その過程でまたボリュームを増やしていけばいいことで。

だから私も子供にお世話を焼くタイプの母親ではなく、子供もお世話をやいてもらっているタイプの母親なんですけど。こういう風にできるよ、という見本のひとつですね。

――ここまでの成功の中で、ゆるぎなく大切にしてきたこと「みずのたま」があるとしたら、それは何でしょう?

みなさん、おっしゃるかもしれませんが、やっぱりご縁かなと思いますね

ご縁というのはすごく大事で、言うまでもないですけれど。

私、ほーりーさんから「月のしずく」を教えていただいて、そのお水をいただいた時に、すごい満たされた気持ちになって、ふっとこれで書をかいたらいいのではないかと思って。ほんと、他力本願で申し訳ないんですけど(笑)、「月のしずく」をね、硯に入れて、それでとっておきの墨をすって、書いてみたんです。そうしたら墨もやっぱり香りが立ちますんで、すごく素敵な気持ちになって。

ほーりーさんから教えていただいたこの「月のしずく」っていう気持ちをもって書いたので、今までなんかもう、なかったような結果が出てきたんです。「月のしずく」頼みかもしれませんけれど(笑)。

でもそれって、ほーりーさんから素晴らしい「月のしずく」というお水を教えていただいて、やっぱりこれは私、書かされているなって。いのちをいただいて、生かされているという意味で「書かされている」。だからこのご縁で書かされている、書かせていただいているって感じたんですよね。だから、人への感謝っていうことばは、みなさんおっしゃると思うんですけれど、やっぱりそういうことでご縁を大切にすることで。自分がこれだけ恩恵を受けている、大事にされている。だから自分はしっかり仕事を通じて恩返ししていかなきゃなって思いました。

「月のしずく」はもう、幸せだな、私って愛されているな、ってうぬぼれられる、そういう気持ちにさせていただきました。

――華子先生にそう言っていただけたから、神戸のスカウトキャラバンでは「ツキがつきますように」(笑)って、スポンサードさせていただきました。

ほんとに、マチュアな気持ちというか、成熟な気持ち。

やっぱり書を書いているときに「書があります、自分がいます」ではだめで、一体になることがすごく大事なんですね。

没入しているというか、没頭している状態。それが理想なんですけれど。

その時に、ほーりーさんのことを思ってとか、月のしずくを思ってとか、自分にベクトルが向いているんじゃなくて、自分にとって大切にしている人に思いを馳せながら書けるというのがすごく大事で。

「月のしずく」で墨をすらせていたくときに、あらためて実感したんですよね。

私も話していて、思い出して鳥肌がたちました。

――私もご縁を大切にしたいと思います。今日はありがとうございました。











「だからこそ」まごころを尽くす
信じるということ
地球・人類の意識の進化へ
「人生楽しんだもん勝ち」
自由に、楽しく。
自分にちょうどいい感覚を分かち合う
水の中にすべての知恵がある
ぶれない、何にたいしても。