1971年生まれ。
青山の一等地で世界最先端のビジネスから一転、岡山の山奥の民宿「百姓屋敷わら」へ。
日本の自然食の先駆者である船越康弘氏に師事し、住み込みで働きながら、古今東西の医学・健康法・美容法・心理学・運命論・座禅から瞑想法まで、幅広い知識を得、さらに深めた経験を元に、自身の活動を開始。
聖地でのリトリートや、料理教室、断食指導、マインドフルネス、講演会、執筆など、日本全国のみならず、海外からの依頼にも応えて、幅広い分野と地域で活動する。
コンセプトは「本来の自分に還る」「日常の中で人生の質を上げる」
著書 小冊子『今、ここ、サトケン』
――今日の「みずのたま」インタビューは、佐藤研一さん、通称サトケンに来ていていただきました。では、最初に自己紹介からお願いします。
特に職業は決めてないんですが、「本来の自分に還る」というテーマで、なるべく暮らしから離れない、炊事、洗濯、掃除や、どこかまで歩いて行くとか、暮らしの中でできることを手段として、自分自身を知ったり、自分を取り巻く世界を知ることができるようになるように。それを仕事にしています。
具体的に言うと、「食べること」なら、料理教室を切り口にしても、料理の仕方を教えるんじゃなくて、僕らの意識が量子物理学的にどういうものに影響してるのかとか。自分はいろんなものに影響するって存在だってことを体験してもらったり。
食べるものっていうのも栄養素やカロリーだけじゃなくて、エネルギーも食べてるっていうのを体験してもらう。そういう体験をきっかけに、自分がいる世界を、目に見えないんだけども、確かにある世界だと知ってもらうとかですね
食事を出したりもしますが、「食べない」ことをテーマに断食というのもやってる。食べないことによって免疫力が上がったり、五感を取り戻したり、自分が持ってる本来の力を引き出すということをテーマにしたりですね。
後はお話会をさせていただいたり、呼吸法や瞑想やマインドフルネスをテーマにした学びを一緒にしたりですね。
また旅ものでリトリート合宿。
旅をしながら日常でできることを一緒にやって、その中で自分の暮らしの周りにある豊かさに気づき、それをシェアし合うとか。まあ、そういう旅ものも、日本国内外あちこちへ行かせていただくとか。まあいろんなことやってます。
――そんなサトケンさん。今日のインタビュー場所のこの海岸。ここはご自宅からすぐそばと伺いました。
そうですね、ちょっとここからは写らないんですけど、すぐこの指の先に烏帽子岩というのがあるんです。神奈川の茅ヶ崎、サザンオールスターズの地ですけども。歌にも出てくる烏帽子岩が目の前に見える海岸でして。
この先の駅に向かう道がですね。第一中学があるので「一中通り」と言われてまして、僕が住んでる通りからのどんつきの海岸に、今日は来させていただいています。
――ここ、茅ヶ崎はホーム?
うん、いいとこですね。もう大体、数年ごとに引っ越ししてきたんですけど、ここは居心地がよくて18年いちゃいました。
あまり土地とか家に執着ない方。どっちかというと移動が大好きですからね。まあここに住んでても、全国海外、あちこち行く方ですから。
たまたまここに家があるってだけなんで、別にどこの土地に行ってもいいなと思ってますし、ずっとここにいたいという執着も特にない。
まぁ、あちこちには行きたいっていう執着はありますけれど。それはどこを起点にしても行けることなので、ここじゃなくてもいいなと思ってますね。
――もともとがバックパッカーでいらしたんですもんね。それにしても、この海の風と光と空気。気持ちいいですね、本当に。
環境もそうなんですけど、ここに暮らしてる人たちが人生とか暮らしとか、ライフスタイルを重視した人が移住してきて住んでる方が多いので。
何を大切にするのかっていう、ライフスタイルを重視で、どういうふうに生きたいのかっていうことを重視した人達が多いっていうのもあって、ここに暮らす人たちも気が合う方が多いので、とっても気に入って過ごしています。
――そんなサトケン、学校を出て、今に至る前、前職はどんなお仕事をなさっていたんですか?
前職はですね。1社目は飲食業界に入ったんですが、そこは辞めて。
学校行ってる時から旅が好きで、学生時代も休学したり、「猿岩石」の前、ブームに乗る前からですね、バックパッカーとしてリュック担いで海外をぶらぶらするっていうことをトータルで丸二年ぐらいしてですね。
まあきっかけというほどのきっかけじゃなかったんですけど、バイト情報誌を見たら、広告業界で募集があって、広告もいいなと思って、たまたまその業界に入ったんです。
最初に入った会社は、2年で倒産したんですが、ちょうど2000年、インターネット広告を軸にした会社に入社したんですけど。まさにこれからインターネット広告っていうのが始まるという黎明期に入って。そこに10年ほど席を置いて、インターネット広告、いわゆるオンラインマーケティングっていうのをやってました。
その時は、業界も新しいし、先人もいないので、常に新しい情報を身につけなければいけない。
たまたま人数も少なかったこともあって、会社が急拡大する中で自分は営業出身だったんですけども、それ以外の部署もたくさん立ち上げるとか、責任者になるという経験をいただくことで、自分がやったことないこともね、たくさんしなきゃいけなかった。
自分に足りないもの、自分にないものを一生懸命埋めていく、という作業をひたすら10年間やった結果、茅ヶ崎に引っ越したのを機に、波を眺めてる時に、「自分が備えて持ってきたものって何なんだろう?」って、ふと感じるところがあった。
ないものを埋めるっていうことは、もう10年やったから、今度はあるものを探すっていうか、あるものを発見していこうという。まあそういうことをテーマに生きてみたらどうなのかなという。
まだ実験中ですが、それで「本来の自分に還る」とテーマにして今に至ります。
その大きなきっかけをいただいたのが、当時「百姓屋敷わら」という名前で民宿をやっていた船越康弘さんという方との出会いと、そのわらに7ヶ月間丁稚奉公に行った経験が今の完全なる下支えになっていますね。
――わらでの経験とは、具体的にはどんなことを?
「わら」で経験させていただいたことはですね。山奥で150年前の古民家を改修して、田んぼと畑と二つ山を持って展開してたんですけども、基本的に僕がやってたのは、外仕事、外の仕事ですね。
丸太を切って丸太担いだり、岩を運んで石垣を作ったり。まあ重いものとか、でかいものを運ぶということが仕事の大半と、あとは単純作業ですね。ペンキ塗ったりとかですね。
基本的には自然食の宿だったんですが、料理にはほぼノータッチで、ひたすら肉体労働と単純作業っていうのを7か月間やるっていうのが主な業務でしたね。
――その7ヶ月の生活がサトケンをどう変えたんですか?
今まで海外に行って、20代前半で自分探しみたいなことをしたり、ビジネスの業界で頂点目指して取締役まで登っていこう!みたいな感じで働いたり、世界最先端の仕事してみたいと思ってやってみたり。
山奥に行って毎日薪割りをして風呂を沸かすような生活をして、「何か見つけよう」みたいなことをしてたんですが。
結論的に言うと、自分の家から一歩も出なくても、自分に必要なご縁や機会や気づきっていうのは、日常の中に満ちているっていう。
その気づきを師匠の船越さんの話だったり、自分がただひたすら目的もなく、もくもくと単純作業する中で、そういう気づきをもらうタイミングがいくつもあって。
前職の時は、人ができないような、いろんな仕事をたくさんやらせていただいたんですけれども、常に未来に対してなんか漠然とした不安を抱えているような心持ちだったんです。
でも、「わら」に行ってからは、誰もができる仕事しかしてないんですけども、未来に対しては不安感がなくなっていて、安心感しかないという。そういう出来事があって。
目の前のことに心を込めて魂込めてやっていると、自分に必要な気づきや出会いがあるという、そういう体験がたくさんあって。
なんか特別なことしなくていいんだと言う確信を得られたっていうのが僕の1番の収穫だったなと思ってます。
――その確信を分かち合う活動を今は自信をもってされていると思うのですが、当時、転職・収入減についての不安や怖れはなかったですか?
まあ、最初の3ヶ月間は、・・・家賃がね。
僕、前職の時に、1000万単位のね。年収もらってましたけど、「宵越しの金は持たない」って言って、毎月手元に2~3000円ぐらいしか残らないような、それぐらい使い切って。みんなに「あほか!」って言われました。
会社辞めた時も預金ほぼゼロで、「わら」に行く前も半年間ぶらぶらしてましたけど、いきなり借金してスタートしましたんで。わらではタダ働きでしたから7ヶ月間一円ももらわずに働いて。
帰ってきて、「さぁ、どうする?」となった時、3ヶ月間はやっぱりもう「今月どうやって生きていこう?」みたいな不安が相当ありましたけど、一瞬は。
まあ、いろいろ、また原点に立ち返るっていう、その中で学んだり確信したことに立ち返って、「今できることをまずやるしかない」と思ってやっていく中で、意外といろんな方々の助けを得て、乗り越えられたっていうのが3回ぐらいあると、「意外といけちゃうかも」みたいな感じで。
舐めてるわけじゃないんですが、心配しても心配しなくても、結果乗り越えられるんだったら心配しない方がいいかと思って。
ただですね。逆に「安心を先に持つと、安心する環境がやってくる」というようなことがあって、まあ無駄なことを考えてもしょうがないなと思ってたら、なんとなく生きてられるみたいな感じで今に至ります。
――そして、「ライフアーティスト」と名乗って、それを皆さんと分かち合いしてるわけですね?
僕、岡本太郎さんがね、大好きなんですけど。
岡本太郎さんも言ってますけど「人生、即芸術」と。生き様そのものがね、結果的に立ち上がったアートみたいなもんだと思っています。
美しいものとか、こういうことをして、これ目指して、こうなろうとかっていうのも素敵なんですけども。そういう意図が入ったものではなく、意図せず過ごした結果、美しいものが出来上がったみたいな世界観が僕好きなので。
暮らしの中でですね。生きていく中で、自分が心血注いで、目の前の出来事に真摯に向き合うことで、結果生まれたものっていうのが、美しいものだったらいいなと。
それを「ライフアート」という形で、表現できたら。全世界がみんなそういう人だと思ってまして。
だから僕だけじゃなくて、全世界の人が「ライフアーティスト」だと思ってるんですけど。あえてそれを名乗って生きてみたらどうかな、という感じですね。
――そういう自然体な生き方の中で、最愛のパートナーとも出会えているサトケン。魂のパートナーと出会うために何か努力してきたのですか?
努力はなくて・・・。出会いはね、まあ偶然でしたけども。
僕の中で、それは最近に限ったことではなく、20代の頃からなんですけど。彼女が欲しいっていうのは普通に欲求としてあると思うんですけど。
その時何がきっかけでそう思ったのか分かんないんですけど。
自分をどう見せるかとか、女子がいっぱいいる場所に行こうとかっていうよりは、自分の内側を磨き続けてたら、それに魅力を感じてくれる人と出会うんじゃないかという考えがあって。
割と昔から「出会いたかったら自分を磨くしかない」みたいな、そんな感じではいたんですけども。
まあそれでね、崇高な素晴らしい自分になって、なんかこう崇高な方と出会って・・・という感じじゃなくて(笑)。
自分が楽しくて、まあどうでもいいことに楽しみが見出すほうなんで、ただふらふらと楽しくやってるとか、自分がやってることになるべく注げるだけの力を使うという。
そこに手は抜かないということで出会えたのかもしれないなという気はしてますけど。
――とてもいいアドバイスでした♪ありがとうございます。
ところで、サトケンが目標設定していくタイプではないことはわかりましたけれど、あえて質問。今後チャレンジしてみたいことってありますか?
そうですね。やっぱりよく、自分が1番時間かけたものとか、恩恵を受けたものが、自分の適性にも関わってくるって言われますけど。
まあ、そういう意味で僕は、「本」。
幼稚園入る前から活字中毒で、今まで本に書けた時間と労力とお金は、甚大な金額と莫大な時間をかけてますし。
まあ「食」もそうなんですけど。そういう意味では「食」でもね、仕事できてるってのはありますけども。
今度は本を書くと言う方で。
一応今、僕1番好きなのがファンタジー小説なんで「ファンタジー作家」って言ってますけど。別にファンタジーに限らず、エッセイでも何でもかんでも書くということを表現としてやっていくことはこれからの大きな軸にしたいなと思ってますね。
――作家としての「サトケン」。楽しみですね。
そうですね、もうホームページで「作家」って書いちゃってますけど。何の作品もありませんけど(笑)。とりあえず書いておいたら、なんか進むかなと思って。
今ね、雑誌のコラムなんかの機会もいただいてますけども。とりあえず書いてから考えるみたいな感じで、作家になろうと思ってます。
――そんなサトケン。ここまで振り返ってみて、揺るぎなく大切にしてきたというものがあるとしたら、それを言葉にするとどんなことでしょう。
よく聞かれるんですけども、これは答えになってないというふうにも捉えられるんですが。
僕が大事にしてるのは「大切にしたいと思ってることを大切にする」。
その瞬間でもいいし、長いスパンでもいいんですけども。
意外と皆、大切にしたいと思ってることはあると思うんですね。だけどできてないってことが多いと思うんです。
例えば朝一緒にね、奥さんとコーヒー飲む時間が欲しいと思ったら、なるべくその時間を生み出そうとか。そのために早起きする必要があれば、ちょっと早く起きようとか。
長いスパンで物を書いてみたいと思ってたら、書く作業をする時間を入れ込んでいくとか。
まあその時々でいろいろありますが、大切にしたいと思うことをちゃんと大切にするっていうことを忘れずに、日々過ごすっていう。これはもう毎日自分に問いかける言葉だったりします。はい、それを大事にしてます。
――「大切にしたいと思っていることを、大切にする」。確かに、なかなかそれができない自分もいますね。
サトケン、今日は、ここ茅ヶ崎の海岸で気持ちいいインタビューができました!ありがとうございました。
※サトケン イマココ・ストア 連載コラム 「今、ここ、サトケン」