2022.7.8
まず、自分を愛で満たす

ジャスミン

愛と笑いの伝道師

1977年大阪府生まれ タイ在住 
神戸女学院・音楽学部卒

英語、タイ語、イタリア語、大阪弁を自在に操るマルチリンガル。
現在はタイの高級マンションで、4歳の娘を育てる優雅なセレブママ…。

…と思いきや、その半生は波乱万丈。大学卒業後、大手保険会社に就職。
そこで出会った夫と結婚。その後、法科大学院に入学し、猛勉強に励むが、そこで心身のバランスを崩し、適応障害に。

夫の転勤に伴いシンガポールに移住。猛勉強の末、英語を習得。現地の大手法律事務所に勤務するまでに…。

父の闘病を支援するため、帰国。
並行して不妊治療に励み、父を看取るとほぼ同時に妊娠。夫の転勤に合わせて、タイに移住し、40歳で初出産。知り合いのいない異国の地で、どっぷりと産後うつを経験する。

幼い頃から、謎のネガティブ感情に苦しめられ、心理学、脳科学、宗教、コーチング、スピリチュアルなどを学ぶ。
2021年、全てのことに、ただただ感謝し始めたことがきっかけで40年以上ずっと悩まされ続けていた謎のネガティブ感情からついに解放される。

現在は、これまでの自らの過酷な経験を活かして、「マインドセット・
スペシャリスト」として、現代人が陥りがちなネガティブ思考を切り替えるための方法を講演、YouTubeなどを通じて伝えている。

ちなみに実弟は、2021年初出版本『最高の幸せは、不幸の顔をして、
やってくる』(かんき出版刊)が大人気になっている、「しんちゃん」。

ジャスミンチャンネル

――こんにちは、みずのたまインタビュー。今日はジャスミンさんに来ていただきました。そもそも、「ジャスミンって何モノ?(笑)」なので、簡単に自己紹介をお願いできますか。

はい。私はジャスミンと申します。

大阪府の八尾市出身なんですけども、今はタイのバンコクに住んでます。バンコクに今、6年目かな。バンコクに来る前はシンガポールに10年ほど住んでたので。もう海外に出て15年ぐらいです。

――ジャスミンって、本名?(笑)

そうなんですよ。本名じゃないんですけど。ちょっとね、なんでジャスミンか?はちょっと電波に乗せると微妙かな(笑)。

いつも講演会に来てくださった方にはお話しさせてもらってるんですけど。ちょっと深い話があるので。(笑)

――でも、今日はジャスミンって呼ばせてもらいますね。

ありがとうございます。

もうなんかすっかりジャスミンって、自分の中でも定着してるし。うちの娘もうすぐ来月5歳なんですけど、娘もママの名前はジャスミンだと思ってるし。娘の行ってる学校でもママ、保護者の名前はジャスミンだっていう。

八尾人なんですけどもすっかりジャスミンです。

――そのジャスミンさん、今は何をなさってるんですか?

主にYouTubeと講演会で、発信をさせてもらってるんですね。

自分が今まで約40年ぐらい、すごいネガティブな感情に苦しんできた経験を通して、その自分の経験とかをお話しすることで、私と同じようなしんどい思いをされてる方がちょっとでも楽に生きられるヒントになれば嬉しいなと思って。

娘の学校がある時はタイにいるので、タイからはYouTubeで皆さんにお目にかかっていて。で、娘の学校が休みになったら大阪に帰ってきて、講演会させてもらってます。って言っても。YouTube始めたのは2月からで。講演会始めたのは3月からなんですけど。

新人でございます!!

――というジャスミンさんは、八尾出身。ということでピンと来られた方もいらっしゃると思うんですが・・・。実はあの・・・「しんちゃん」のお姉さん?


しんはね。もともと弟は生命保険をやっていて。ありがたいことにお客さんのおかげで営業成績が日本一っていうのを2年連続取らせていただいて。

そこからいろんなことがあって。会員制のふぐ屋さんもさせていただいて。

で、まあ・・・あのちょっと・・・、留置所という所に行ったり、とかっていう事件とかもあって。

今はそういう経験を通して、弟も講演活動をさせていただき、去年は『最高の幸せは不幸の顔をしてやってくる』っていう本も出版させていただいたんですね。

※実弟しんちゃん(古田真一さん)の「みずのたま」インタビュー

私が1年前まで、主婦で、産後鬱とかもすごくしんどくて。ネガティブな感情でぐるぐる、ぐるぐる、しんどくて。自分がいったいこれから何をやっていきたいんだろうとか。朝起きた瞬間からしんどいんで。

どうやったらこのネガティブな感情から逃れられるんだろうって思ってたのがほんの1年前だったんですけども。

弟が去年2021年の12月に『最高のあ最後の幸せは不幸な顔をしてやってくる』っていう本を出版するっていうことになって、その出版記念パーティーに私も参加させてもらったことから、一気に私の人生も変わって

YouTubeだとか講演会っていうのをさせてもらうように、発信ができるような自分になったんですね。

――あのパーティーには私も参加させてもらいましたけど、ジャスミンさん面白かったですね。後半は主役は誰?みたいな。


いや、もうね、あのパーティー。伊勢神宮の禰宜の吉川先生が「神々の競演」って、そう呼ばれてましたけど。本当に私も今、思い出しても「神々の競演」に私1人迷い込ませてもらったなっていう感じだったんですけど。

皆さん、有名とか有名じゃないっていうよりも、その波動っていうか、気が優しくて。愛と光に溢れてるというか。

今思い出しても、あったかい気持ちになるような、すごい会だったんですよね。

で、そこで私がね、少しお話しさせてもらったら、「ジャスミンちゃん、めっちゃ面白いやん」って言ってくださって。

実はそれ12月だったんですけど、私、その1ヶ月前の11月に、たまたま弟の講演を初めて生で見る機会があって。

で、その弟の話をね、皆さんがすごい「うんうんうん」って聞いてくださってる姿を見て。

「あ、私がやりたいことってこれや!」って思ったのが11月の5日とか6日とかその辺やったんですよ。

で、その数日後に瀬戸内寂聴さんがお亡くなりになって。寂聴さんの人生っていうのをテレビでやってる中で、寂聴さんがいろんな法話をされて、皆さんがそのお話を聞くことでヒントを受けて、元気になられてるって姿を見た時に、もうなんかね。「これや~~!!!」って天に打たれたような。

私がやりたいことって、講演家というか、自分のお話をすることで皆さんに元気になってほしい。「これや~~!!」って。11月に思ってそれをしんに言ってたんですね。

それで、パーティーを取り仕切ってくださったはづき虹映さんが、「しんちゃんのお姉ちゃんのジャスミンさんからもお話してください」って。お話しさせてくださって。

そしたら、そこにいらしてくださってたあのベストセラー作家のさとうみつろうさんが「ジャスミンちゃん面白いやん」って「東スポの佐藤です」とか言って、インタビューしていっぱい話をさせてくださって。そういう流れで。

――そこで何件も講演のオファーが来ていましたよね?


そうなんですよ!そうなんですよ!

そこでしんが「皆さん、実は今日は、僕の出版記念パーティーやと見せかけた、姉ちゃんの予祝記念パーティやったんで、お姉ちゃんのためにお集まりいただいて、ありがとうございます」って言ってくれて。

いやもう、本当にいい弟やなと思うんですけど。


――しんちゃんとジャスミンさんの、お姉ちゃんと弟の関係を見聞きしてると、本当に仲がいいですよね?それは子供の頃からですか?


そうですね、子供の時から、まあすごく仲良くて。

で、なんだろう? 私4つ上なんですけど。どっちかっていうと何もできない弟としっかり者のお姉ちゃんみたいな構図で。

私は結構、生徒会長とか学級委員とかやりたいみたいな。成績も常にクラスで1番じゃないと気が済まないみたいな。負けん気が強くて、とにかく人から「すごいね」って言われてないと気が済まない。他人の目がすごい気になる子っていうか。

だけど、こう何ていうのかな?常に元気で明るくてっていう風に周りからいつも見られてたんですけど。本当は心の中は常にネガティブっていうか。人からどう思われてんやろうとか、仲間外れにされたらどうしようとか。まあそういう子やったんですね。

でも弟は本当に天真爛漫っていうか。

ちょっと「タリラリラ~♪」っていうか(笑)。「この子、頭大丈夫かな?」とか「なんか、しんちゃん大丈夫~?」みたいなね。

真一が昨日もほーりーの主催の講演会に出させていただいて、そこでも弟も言ってたんですけでね。

弟もずっと野球をやってたんですけれども。松坂投手と投げ合いをしたPL学園の上重投手って投手がいて、その上重君は幼稚園の同級生だったんですね。

私、今でも覚えてるんですけど。幼稚園のお遊戯会ってあるじゃないですか?あれで上重聡君はヤマタノオロチのスサノオノミコトの。昔からやっぱり顔もかっこいいし。優等生のよくできる子やって。

で、弟はなんかそこで。なんやったか(笑)。草か木か(爆)。なんか、ヤマタノオロチの尻尾持つ、なんか?(笑)みたいな。

ほんまにそういう可愛い子やって。

私はなんか常にしんちゃんを守ってあげないと、みたいな感じやったんですよね。

で、しんが高校からずっと野球をやって、その後もずっと野球選手を目指して。結局26歳までニートっていうか、プー太郎で。もうアルバイトもしたことない。野球の選手を目指し、ずっとやってたんですけど。

私は結婚して東京にいたんですね。で、弟は私の東京の新婚家庭に居候して、そこでトレーニングをずっとして。

――そうなんですか?

そうなんですよ。


私はもう弟の「喜び組」として。3食プラス補助食っていうのが2食。

だから合計5食。

弟のご飯を作るっていうのが、喜びで。

母、おばあちゃんとかも。もうね、女性陣はみんな弟にメロメロなんですよ。

それでおばあちゃんとかもたまに電話してきて、私がちょっと声がガラガラしてたら「あんた風邪か?」って言われて。「もうちょっと風邪引いてもうて」って言ったら。「あんた、しんちゃんにうつさんといてよ~」とか。(爆笑)

そういう扱いやったんですけど、でもなんかまあ、弟はうちに下宿して、私はそうやって弟の世話するのがすごい楽しかったんですね。

でも、私が海外に出て。で、弟は野球選手っていうのは諦めて、保険の仕事をさせてもらうようになって。

どんどん、私はやっぱり海外で、定期的に何だろう?気持ちが沈んだりとか。

海外に行く直前もロースクール、近畿大学の法科大学院に行ってたんですけども。その時も適応障害っていう病気になって。

それはなんだろう。まあ、うつ病の一歩手前みたいな感じで。勉強してて、基本書っていう法律の本を読んでても、もうずっと同じとこばっかり読んじゃって。そのうちぽろぽろぽろぽろ涙が出てきてとか。もう勉強しようと思っても何も頭に入ってこなくって。

その時も多分そうなったのは、私もともと大学は音楽学部だったんです。で、声楽をやってたんですけど、結局それも大学卒業と同時に止めちゃいました。

で、結婚してから法科大学院に入りました。でも、ここで、もし司法試験に通らなかったら、「なんかこの人って、いろんなことを始めるけど、結局全部中途半端な人やん」って人から思われるんじゃないかって。

もう常に人の目が気になるから、そういうので、どんどんどんどん自分を追い込んじゃって、適用障害からもううつ病みたいな感じになっちゃって。

もう本当にね。半分廃人みたいな生活を送ってたんですけど。その時に夫がシンガポールに転勤になったので、シンガポールについて行って、まあ元気になれたんですけどね。

でも、定期的に結構落ち込むことがあって。そういう時に弟がいいタイミングで、もうあかんかもっていう時に「姉ちゃん元気か?」って電話をしてきてくれて。

弟って今でもそうなんです。一切SNSとかそういうのやらなくって。保険の仕事やってた時もお客さんに直接会いに行くか電話っていう子で

当時。あの海外にいても、国際電話をかけてきて、「姉ちゃん、元気か?」って言って国際電話なのに1時間でも2時間でも話を聞いてくれて。毎回電話切る時に「次しんと電話で話す時までは私元気で頑張って生きていこう」って思って。

――子供のころはしんちゃんを助けようと思ってたお姉ちゃんがいつしか・・・

そう、助けられて。

――ちょっと、翻って。その音楽大学へ行ったのは音楽は好きだったから?


そうなんですよ。高校の時に音楽の先生から「あなた、すごい音楽に向いてると思うから、音大に入る勉強をしなさい」って勧めてもらって。私その時、高校1年生だったんですけど、自分の進路っていうのをどうしていいか分からなくて。

常になんかネガティブな、ぐるぐるしてるじゃないですか。だけど何かに没頭できると、すぐそのぐるぐるを忘れられるから。音楽に没頭してみようと。

でも、もちろん音楽もクラシックの音楽も大好きだったし、歌を歌うことも楽しかったから。やってみようと思って。

やり始めたら、めっちゃ一生懸命やるんですよ。で、一生懸命やって、神戸女学院大学っていう所の音楽学部に入学したんですね。

でも、その音楽学部に入ったんだけれども、本当に自分がこれからやっていきたいことは、人の役に立つことだなって思って。私が歌をやっていってもそんなに人の役には立てないかもって思ったんですね。

で、大学卒業と同時に音楽はやめて、普通に会社に入社して結婚して。そこで夫は同期だったんですけど。

――それで、結婚した後、ロースクールへ?弁護士になろうと思ったんですか?


そうですね。まあ弁護士なり検事なり、何かそういう法律っていう武器を身につけたら、何か人の役に立てるんじゃないかなって当時は思ったんですね。

――人の役に立つために勉強しようと思った?

でも今からよく考えやると。それも本当にまあ宇宙の采配じゃないですけど。弁護士になれなくてよかったって思うのは、やっぱり私、すごい必要以上にすごい感情移入しちゃうし。もし私が弁護士になれてたとしても、結局メンタル面で私がやらやられて駄目になって、人のお手伝いできへんかったんじゃないかなとは思うんですけど。

当時は法律家になることが人の役に立てることかなって思ってたんですね。うん。

――で、そのご自身のメンタルを乗り越えるためにいろいろお勉強なさって。コーチングに出会って、これだって思ったのに「傾聴が向いてないから」っていう話がちょっと面白いんですけど。


いや、えっとね(笑)あの~もう、本当に産後から、産後鬱で。もうすごいしんどくて。朝起きた瞬間からもう本当にしんどくて。

最初ね、本当に心療内科に行こうかなって思ったんですけど。

法科大学院時代に心療内科に行って抗うつ剤とか精神安定剤とか睡眠薬とかもらって。もうそのお薬の副作用がしんどかったんですよ。だからやっぱりなんか薬は飲みたくないと思って。

で、産後鬱やったら半年で治るからって勝手に自分に言い聞かせてたんですけど。2年経っても3年経ってもすっきりしなくて。

それでコロナが始まってから、zoomでね。日本でとか、いろんな各国でやられてるセミナーをzoomで受けられるっていうふうになって。いろんなセミナーを受け始めたんですね。

その中でライブサミットていう形で、いろんな講師の方が1時間ずついろんなプレゼンテーションをされて、最後にその先生達の講座をご案内されるっていうようなライブサミットっていうのを初めて見た時に。

1人の先生が、すごくスピリチュアルな方で、サイキックっていうんですかね?いろんな能力を持ってらっしゃる方で。「皆さん今世には必ず天命を持って生まれてきてるから、その天命を見つけたら天命に従って幸せに生きられますよ」っていうような先生で。

で、その先生のその講座をちょっと取ってみたら、1番最初からね、「皆さん~、波動を高く~」っておっしゃって。

「うん?波動高くってどうすんねんやろう?」って。

まず波動の意がちょっと分かれへんなと思って。でもそこのズームの講座に出てらっしゃる方は結構みんな「波動を高く」の意味が分かってる感じで。チャット欄とかに「波動が上がってきました。整ってきました」とかなんか書かれてるから、もうめっちゃ場違いっていうか、空気読んでないって分かりながらも。

チャット欄に「波動を高くとはどうすることですか?」って書いてみたんですよ。

そしたら、先生、めっちゃいい先生で。「ジャスミンさんからのご質問で、波動を高くくとはどうすることですか?ってご質問ですけれども。ジャスミンさん。それは頭で考えてらっしゃいます。ハートで感じましょう」って言われて。

余計わからへん。やっぱり私、スピリチュアル、あかんわ」って思って。スピリチュアルはなし!ってなって。

で、コーチングとかやったら、もっと分かりやすいか。私でも分かることやからって、コーチングの勉強をやり始めたでんです。勉強し始めると、めっちゃ真面目だから、めっちゃ勉強するし、めっちゃ没頭するし。

そのコーチングって素晴らしいなと思って。

まずね、人をコーチングというのは、クライアントを、人間はパーフェクトな存在、無限の可能性を秘めてるって見るんですよと。なので。答えは全てその人の中にあるから適切な質問をすることで、その人の中にあるものを引き出しましょう。

「コーチは一切いらないこと言ってはいけません」っていう感じで。

でも、ちょっと私、おしゃべり大好きだし。(笑)

自分がコーチになるの向けへんのかなって。ちょっと思い始めてたところやったんですけど。

まあ、コーチングの勉強はすごい楽しかったんですね。でコーチングの勉強して自分のぐるぐる思考にも1番よかったのが、プライマリークエッションっていうの考え方があって。人間って常に自分に無意識にいろんな質問をしてるんですけど。そのぐるぐる思考の時って、「なんで私こんなまたネガティブなこと考えてしまうんやろう」「なんでこんなにしんどいんやろう」っていう自分に対する質問が、そもそもぐるぐる下に落ちていく質問をしてるんですね。

だけどそこを、「なんかこのネガティブ感情から私はなんか学べることがあるんじゃないかな」とか「これはもしかしたら天からのギフトなんじゃないかな」とか。「そうだったらどうだろう」っていう最初の質問を変えることで、どんどんポジティブな方に持っていけるっていうのを学んで。それはコーチングを学んですごくよかったんですね。

同時にまた別のセミナーを受けてて、そこで学んだことが「とにかく目に映る全てのことに感謝をしましょう」っていうのを学んで。

当たり前のことって何一つないんですよ」って。

「今、空気を吸えてることだって奇跡だし、空気がなかった一瞬で死んでしまうし、今こうやって目が見えてることもありがたいことだし、お手洗いに行っておしっこやうんちが出る健康な体であることも、本当に奇跡だし。爆弾なんか降ってこない平和な環境にいることも奇跡だし、お水が飲めることも奇跡だし。当たり前だと思ってることもほど、ありがたくて奇跡なんですよ」っていうのを聞いて、めっちゃ感動して。

で私ね。真一からその「幸せのシャワー」の話を聞いた時に、「いや、幸せやって思えって言われても、私幸せやと思われへんねん」ってずっと思ってたんですけど、「ありがとうのシャワー」やったらできたんですよ。

このシャワーを、蛇口さえひねったら、温かいお湯が出るっていう、このシャワーを浴びれるってありがたいよなって。その「ありがとうのシャワー」やったらできたから、そこから目に映る全てのことに感謝しだしたんですね、

そしたら感謝でネガティブを上書きできたっていうか。

ネガティブって、何かを忘れよう、忘れようとしたら、よけいそっちにフォーカスしちゃうけど、何か違うことに没頭すると上書きされて忘れられるんですよね。

今回はその感謝することに没頭していったら、どんどんどんどんそのネガティブっていうのが上書きされて、どんどんどんどん感謝するようなことばっかり起きるようになっていったんですね。

その中で、日本に一時帰国してきて、弟の出版記念パーティーでその「神々の競演」で、講演家デビューさせていただけるっていうことになって。

もう本当にありがたいことばっかりがどんどん続いていてって。

なんか今ではもう本当にありがたいことと、もう奇跡だなって思うことで、あふれる毎日を過ごさせていただいていて

だから、その何ていうかな。ヒントっていうか。私、その本当にしんどい時って誰かが私を助けてくれるかもって思ってたんですね。それが心療内科の先生だったり、セラピーだったり。

もちろんそういうのがきっかけになって元気になれることもあるんだけど、結局自分を救えるのは、最終的には自分だなと思って。

でも逆に言えば、自分の考え方をちょっと変えるだけで、自分で元気が出るんだなって、すごい感じたので。なんか本当にその経験を伝えて。なんかめっちゃしんどい時の人の気持ちがめっちゃ分かるから、なんかそういう人達の役にちょっとでも立てたらなって思う。

――でも自分の得意技がおしゃべりだって、気が付くの。ちょっと遅過ぎない?(笑)

ははははは!!!(大爆笑)


もうね、昔から母親から「ほんまにあんた、口から生まれてきた子よ」とか「ほんまに口から出まかせばっかり言う子やわ」ってずって言われてたんですけど。

なんかそういうふうに、なんか実は、too muchって人から言われたり、  too muchのことが実は特技だったり、役に立てることだったりするのかもなって最近ちょっと。わははは!!!


――そのとおりだと思います。(笑)

ところで、講演会デビューして、さらに次はどんなことを目指したいですか?

そうですね。なんだろう、もう、なんだろう。

もう毎日もう本当に、目の前のことに感謝して本当に今も自分が幸せ、自分はもう本当に自分が必要なものが全部あるなって。あることに感謝しながら。

自分がしんどかった時のこと、自分でも自分がしんどかった時のことを忘れないようにしながらっていうかね、なんか、そういう本当にほんの1年前までの私のような方のお役に立ち続けていきたいな、って。

――ありがとうございます。では最後の質問なんですけど。ジャスミンさんにとって、「みずのたま」。ゆるぎなく大切にしてきたものがあるとしたらそれ何でしょうか?


それは、・・・愛ですかね。

それはなんだろう? 自分に対する愛。まず自分を大切にして

何て言ったらいいのかな?自分が愛に満たされ、自分の全てをやっぱり受け入れて許して。昔の私って罪悪感とかが後悔とか、もうそういう感情ばっかりで。

この世の中って、本当に悲惨な場で、人間さえいなくなればこの世は平和な地球になるのにって、ずっと思ってたんですけども。

本当にこの1年でそれが180度、がらって変わって、もう人間って愛の塊だよなって思えるようになったんですね。

で、そう思った時に、まずはやっぱり、自分を愛して自分を幸せにするっていうことが本当に1番大事で。で、その愛が家族だったり、目の前の人だったりもっと多くの人に伝わっていけたら・・・。で、それが全部の人がそういうふうにまず自分を本当に大切にして、愛で満たして、お水のようにっていうかね、そういう世の中になっていけたら、すごい素敵な世の中になるなぁって。

人間だけじゃなく、私も猫ちゃんとかワンちゃんも本当に大好きで、その保護犬活動と保護猫活動もやってるんですけど。そういう人間だけじゃなくて、この世に生きてる全ての生き物に、どんどん、どんどん、愛で包まれる地球になったら素晴らしいな、素敵だなって。

――「愛」なるほど!

たくさん笑って、楽しいインタビューになりました。今日はありがとうございました!

バイバイ、サワディガー。

――ジャスミンさんが発している雰囲気がピカ~ンと明るくて、お話していて元気になりました。ぜひみんなにも会ってもらいたいです!!(ほーりー)

「自分に嘘をつかない」
好奇心・自分に嘘をつかない
死ぬ時が人生の最高峰(後編)
「自分が幸せそのもの」
自分の中から湧き上がるものに耳を澄ます
「ご縁」のおかえし
「”生かされている命”を全う」
自由に、楽しく。