2022.10.28
「感謝」の声を聴く

平垣 美栄子

たのしいをつなぐanimani代表
ヒルデガルトフォーラムジャパン代表
NaO 一般社団法人 自然療法機構代表

平垣 美栄子

1998年フィトテラピー(植物療法)サロン
「デイ・エステ・ガーデン」を開設し
ハーブを使った独自の技術を展開
その後フィトテラピーの育成を始める。

2012年NaO 一般社団法人自然療法機構を立ち上げ、全国の自然療法家と共に、さまざまな交流の形の普及を務める。
東北のおばあちゃんの知恵を綴った「わたしの1本草」を出版。
2017年末に、自らが、研究しているヒルデガルト・フォン・ビンゲンのドキュメンタリー映画『緑のよろこび』に出演・企画に関わりし、それ以降は、全国で、お話会を展開。
植物に関するエッセイも手がける。
2023年自らの旅で出会った自然療法に関わる人たちを紹介する雑誌「NaO 」を出版予定。

自然療法機構

自然療法機構 会員誌 
2022年 秋冬号

NaO 一般社団法人 自然療法機構代表

平垣美栄子さん

――みずのたまインタビュー。今日は「イマココ・ストア」でコラム『笑って暮らす』を連載してくださっている平垣美栄子さんにお越しいただきました。美栄子さん、よろしくお願いいたします。では最初に簡単に自己紹介からお願いします。


今は、ここ、私のサロン、芦屋のサロンで、フィトテラピー、植物療法のことなんですけど、フィトテラピーのサロンをやっています。あとは、自然療法の仲間を集めたNaOという団体もやっていまして、その他いろいろ、自然療法関連をもろもろやっています

◆ スタートはエステティシャン

この道に入る前は、エステティックサロンをやっていて、芦屋でサロンのオーナーだったんですけれども、27年前ですかね?阪神大震災で家とサロンが潰れちゃいました。それがきっかけでそれまで植物のことを独学で勉強していたのを本格的に生業としてやっていきたいなって思って、方向転換したんですね。

――うんと遡って・・・。エステサロンを開業する前、美栄子さんはどんなことに興味があったんでしょう?

まあ、とにかく綺麗なものが好きだったんです。決してきらびやかなものが好きとかっていう意味ではないんだけど。

植物にしても、素敵なブルーの色をした露草が好きとか、夕日が好きとか。そういう綺麗なものが好きだったですね。

その時代っていうのは、今みたいなナチュラル系が流行ってるわけでではなく、きっちりお化粧をした綺麗なお姉さん方が流行っていて。私もまだ十代だったので綺麗にお化粧できたらいいな、なんて思いながら、近所の大手の化粧品会社さんにアルバイトさせていただいてたんですね。

その時に、そんなに肌が綺麗じゃないないのに、なんかこうべたっと塗ってチークもわ~っと塗って、「綺麗ですね」っていうお姉さん方を見て、「嘘の世界だ!!」って思ったんですよ。

で、これは素顔、元を綺麗にしとかないといくら上から塗っても駄目なんだなって思っていた時に、エステティック協会っていうのが日本に入ったんですね。それで、真っ先に連絡して。それが後々に100店舗も構える、大手の企業になっちゃったんですね。まだその時は10店舗もなかった状態の時で。私も言葉が適切かどうかわかんないけど、「バリバリやるエステティックのエステティシャン」だったです。

◆ 転機は阪神大震災

――バリバリやってたエステサロンから、今こんなに穏やかなナチュラルなサロン経営をするきっかけになったのが、阪神大震災なんですね?

阪神大震災っていうのは、規模としては淡路島から大阪ぐらいまでの間の、そんなに大きな規模ではなかったんですけど。それまで日本列島でそんな大きいな地震じゃなかったんですね。だから私はあの地震の時、当日はもう日本沈没かと思いました。まさか自分のエリアだけがこうなってると思わなかったんで。

当時、エステティックサロンのオーナーで4人5人雇ってたんですね。で、いろんなスポーツセンターとかそういったところにエステティシャンを派遣したりとかしていて。かなり忙しくて。エステティック業界自体もどんどん繁栄していってた時代だったので、出張は多かったし、今よりもはるかに忙しい毎日を送ってました。

でも、何かこう心を癒すこととか、そういうことを求めてた自分がいたんですね。

それはなぜかっていうと、その3年ぐらい前に父が脳内出血を起こしまして、ずっと寝たきりだったんですよ。その看病に追われて、母も私もその頃兄もいたんですけど、皆が疲れて、毎日毎日疲れた環境にいたんですね。

そこで疲れて帰ってきた時に、ちょっとした綺麗なお花があったら癒されるなと思って、綺麗なお花を買っては庭先とかの玄関先に植えてたんですよ。

でも、父が仕事がもうできないっていうのと、誰も後を継いでるわけではなかったので、だんだんお金も尽きてきて・・・。でも会社はまだあったので借金ばっかりがどんどん増えていくんですね。株式会社だったのでいろんな事情があって借金もそれなりにあったんです。

私なんてまだ経営者をそんなに長くやってるわけじゃなかったし、素人だったから、経営の仕方が分からなかったんで、借金だけが身にかかってきたんです。もう1億以上だった。

27歳の時だったんで、「いやいや、もうこんなの生きてられない」って言う、そういう時に、それでもがむしゃらに頑張っていた時に地震だったわけですね。

これがなんか本当に、傷口に塩を塗られるようなとか思うかもしれないけど、その大きな揺らぎが、実は私の人生を変えてくれた

それまでエステティック業界にいて、いかに稼ぐか、毎日いかに稼いでいくかしか考えてなかったんだけど。

いつ自分が駄目になるかもって、言い方がおかしいですけど、いつ死んでしまうかも分からないので、好きなことをして、好きな人に会って、好きな所に行けてっていう、悔いのない毎日を生きていきたいと。本当に明日どうなるか分からないっていう経験をしたので、そう思ったんですね。毎日がそういう日であるように生きていきたいって。

◆ 植物療法との出逢い

――今まさにそういう生活をされてますよね。植物療法との深い出会いは何かきっかけがあったんですか?


その頃ですね、植物療法をやりたいと言っても、辞書で調べたりネットで調べたりしても全く出てこなかったんですね。唯一、やっぱりヨーロッパが主流でそういう言葉があって、これはヨーロッパに行かないといけないのかな?なんて思っていたんです。

ちょうどその時にドライハーブ、ハーブティーの会社が日本に入ってきたタイミングだったんですね。そしてそこの会社が協会を立ち上げられて、それを運営できる人を探してらっしゃったんで、それで電話がかかってきました。

「フィトテラピー」っていう言葉だけを、私、何もまだ知らないうちにサロンの名前として掲げちゃったので、それをいち早くキャッチしたところがあって、で「学校やりませんか?」って。

「じゃあ、勉強できる!」って思っちゃって、「やります。やります!」って言って、知りもしないのに学校をやることになっちゃったんですね。

――そして、勉強にヨーロッパへ?


そうですね。まずはフランスに行って、いろんなものを見させていただいて。アロマテラピーの世界の方が日本では早く入っていたので、ハーブの世界も入ってはいたけどクラフトだったりとか、そんなに健康のためにっていうのはなかったんですよね。

今調べると、もっともっと植物学者や、古い有名な人達が、たくさんいらっしゃるんですけど、その頃の私はキャッチ力がなかった。

だから必死で、なんとなく表向きのいい「フィトテラピー」という言葉から探して、植物のことを勉強しようと思ったんですね。

◆ 900年前の修道女 ヒルデガルト ◆

――その勉強をしていた中で「運命の出会い」があったとお聞きしましたけれど?


運命はね、まずはドイツのハイルプラクティカって言って植物療法のドクターのことなんですけど、ペーター先生との出会いがありました。

そしてそのペーター先生が研究していた900年前の修道女ヒルデガルト・フォン・ビンゲンっていう人物がいるんですね。

キリスト教の中にいながら宇宙のことを話し、植物と人間界のことを話し、そして私たちが求めている「私たちの中に神様がいる」っていう。ちょっと簡単な言い方かもしれないですけど、ざっくり言うとそういう感じのところで。それがもう本当にまさに仏教的で輪廻転生とかの世界もあったりとか、その頃の私にとても響いたんですね。

で、何が私を動かしたのかわからない。明確に一つあげることはできないんだけど、とにかく特別植物が何よりも大好きだったわけではないないのに、やっぱり先生のところに行って、道端歩いていると、白く輝く花を見つけて走り寄って「綺麗!」って言ってたし。太陽を反射してキラキラしている大きな木を見つけて走り寄ってハグして、「あ~、気持ちいい!」って言ってる私がいたりとか。

なんか私、植物こんなに好きだったんだと思って。

――学びながら自分が植物が大好きだったことに気づいていったんですね。


そう!気づきがあったんですよね。そして先生が研究していたヒルデガルトの本がいっぱい積んであって。私がこうやってページをめくって見てて。まあ当然読めないんですけど。ヒルデガルド、ヒルデガルドってちょっと頑張って読もうとしてたら先生が「そんなに興味あるんだったら教えてやる」って。

でも内容は分からないわけですよ。だから興味があるっていうわけじゃないんだけど「教えてやるよ」っていう言葉にピンときて、「あ、これ教えてもらおう」と思って。それで通うわけです。

――そこで、植物から生き方とか哲学まで学んだ?


学びましたね。後から知ったんですけど、先生はとても日本びいきで、日本の心とか精神ととかそういったものをね、いっぱい勉強されてたみたいなんですね。だから私よりもずっとずっと日本人的でした。

お花を摘む時も、連なっているお花の咲き方をしてる物があるんですけど、それを摘む時にパシバシバシってお寿司のね、シソの穂みたいにブチブチブチってやっちゃったりとかしたら、「もうそれは駄目だよ」って言って。「人の油と温度があるので、劣化しちゃうから。お花はとても繊細なものなので、一つずつ摘まないと駄目だよ」って。

「バラでもそうでしょ」って。バラの花もごついおじちゃんの手だったらね。劣化しちゃうんですよね。だから子供の手とか女性の冷たい手で摘んでいくっていうのが、植物農家さんがやってることなんですよね。

そういう常識的なことも全く知らずに入ったので、もうびっくりすることばっかりでした。

  ◆ みんな、仲間。団体のたちあげ

――自身の学びを今度は仲間と分かち合おうと、その後団体を立ち上げられたわけですか?

その後ですね。あの、実は私、嫌いなものがあって、組織とか徒党を組むっていうのがすごく嫌いなんですね。じゃあなぜ?って感じでしょう。

でも嫌いなものは絶対克服できるっていうふうに思っていて。

好きになってしまうか、その中に入らないと、実際のところはわかんない。好きになるような、自分が好きな団体、好きになるような組織を作っちゃえばいいじゃんと思って。

それができないとかね、思わないんですよね、なぜか。「やってみよう!」みたいな。そしてやるわけです。

――そして今NaOという団体を運営されているんですね。

NaOってNaturopathy Organizationっていう自然療法機構の略なんですけど、いろんなことがあった時に何かこう問題になるって、やっぱり大きなとこに国はいろいろリサーチかけるじゃないですか。そしたら大きな名前にしとかないと駄目だな、と。


自然療法機構という名前で「N」「O」なんですけど「NO」だとノーになっちゃうから。1番嫌な言葉じゃないですか?NOって言いたくないから、全部YESって言いたいから、だから「N」と「O」の間に「a」をつけて「NaO」ナオって女の子みたいな名前にしたんです。

――今、お仲間は何人くらいに?

今、300人ぐらいだと思います。これは私が本当に、「いつ入ってもいいよ、いつやめてもいいよ」って言ってるんで。なんかこの人、入ってるか入ってないか分かんないねっていう宙ぶらりんの人もいっぱいいて。でもみんな仲間なんですね。みんな何かやるよっていう時は集まってくれるし。そういう人たちが全国に300人ぐらいいます。

◆ 50代の集大成 雑誌の創刊へ ◆

――今度新しい取り組みで雑誌が出ると聞きましたが?

私20代の時にエステティックサロンを起業しまして、30代でNaO作って。40代でヒルデガルトとか、映画を作ることに携わったんでね。50代。もう終わりなんですけど、何もしてないなと思って。「何もしてないな」って言ったら主人が、サトケンなんですけど、「結婚したじゃん!」って言われたんですけど(笑)


でも、ビジネスとか自分の生き方っていうか、自分のことを何か出すというか、そういうことをしていなかったんですね。だから何かしようと思った時に1番楽しかったこと、今までやってきて楽しかったことをちゃんとやろうと。

何が楽しかったかっていうと、311のあの震災の時に、とにかく途絶えてしまう人間の知恵、古い人たちの知恵を途絶えさせないようにしないといけないっていう思いから、遠くに住むおじいちゃんとおばあちゃんのリサーチをしたんですね。そして1冊の本にしました。

それが『私の1本草』っていう本なんですけど。その1年間、リサーチさせていただいた1年間がすごい楽しかったんですね。

おばあちゃんとかおじいちゃんには方言で喋られ、全然わかんないんですけど、でもそれを面白がっていただいて。知らない所も行かせていただき、そして1人1人の人生を聞いて

なんか自分が生きていくのって、たかがもう本当にね、100年も満たない感じだけど。こうやって皆の話を聞いたら素晴らしい人生が体感できるっていうか、もちろん同じ気持ちにはなれないけども、こんなに人間って素晴らしいんだみたいなそういうのが分かったのね。

あの1年間がやっぱり1番楽しかったなって思って。あの楽しいことをもう1回!だから本を作ろうと思ったんですね。

本を作るには題材がそのおばあちゃん、おじいちゃんの知恵を繋いでいくのか、でも今おばあちゃんおじいちゃんじゃなくとも、みんな気づいて、自然療法だけじゃなく自然界、私たちは自然界の中にいて、私たちその物が実は自然と同じなんだっていうことに気づいてる人いっぱいいて。そういう活動をしたりビジネスしたりいろんなコミュニティ作ったりする人がいっぱいいて。

その人たちに私は講演、お話会とかで全国行く中で出会ってるんですね。だからあのわざわざ1年間また行くっていうよりも、もう出会った人たちを私の頭の中だけではなく、より多くの人達に知ってほしいなと思って雑誌にすることになりました。

◆ 最強の笑顔 ◆

――素敵な雑誌になりそうですね。楽しみです。ところで、こうしてお話を伺っている美栄子さんの笑顔。最強の笑顔ですよね?

この笑顔はどこで獲得?赤ちゃんの頃から?


(笑)赤ちゃんは皆持ってますもんね、笑顔ね。だけど、いつの日か何か常識とかそういう物で閉ざされていくんでしょうね。私もやっぱり閉ざされてたと思います。

だけど、ある時に叔父がね、私が母に怒られて、ふてくされてた時に「ミエちゃん不細工やな」って言ったんですよ。本当に不細工な顔でふてくされて。まあふてくされ顔ってそうですもんね。そういう意味ですもんね。もう本当に不細工だったんだと思うんですけど。

それでね、えらく傷つきまして、子供心に。「おじいちゃん嫌い」って思ったんですよ。だけど嫌いって思った次の日から、鏡見て笑顔の練習しました

おじちゃんがね、「女は愛嬌やで。笑っとけば、ええんやで」ってなんか言ったんですね。」「笑わんと嫁にも行かれへんで」って言われた。
ひどいでしょう(笑)


だからね。本当に嫌だったですけど、嫌いだったんですけど、一瞬。だけどそれは母親に怒られて、しょげてる私を励ましてくれてただけだったんですね。まあ、おじちゃんの愛。だからもう、何でも感謝しかないって感じです。

◆ 仕事仲間「サトケン」と結婚♡ ◆

――その最強の笑顔でサトケンと結婚?


(笑)いや、どうなのか分からないですけど。結婚はお互い多分する気はなかったと思うんですよ。最初ね。そんな関係じゃなかったし。

仕事の上で旅を一緒にしていて、仮に同じホテルに泊まっていたとしても、全然間違いは一切起こらないだろうという仲間でしたね。で、どっちかというと、あ、8歳年下なんですよ。向こうが。まあもう今や向こうが年上みたいになってますけど。(笑)

その頃はやっぱりまだ、すっとしてたし、細い?細くもないけど、まあお兄さんみたいな感じだったので。すごくいい人だし「こんな人と結婚したらいいよ」って私の周りの独身女性にみんなに勧めてました。

――それがご自身が嫁になっちゃった!
結婚してよかったことってあります?

ありますね。毎日美味しい料理が食べられる!
なんか寛大だし。怒らないですよね。


――公開ノロケですね(笑)。

そう!見たまんまの人なんですね。

――籍を入れたことで、二人の関係で変わったことはありますか?

周りから「結婚してよかったね」ってすごい言われるんですね。何かやっぱり主催をしてくださる人たちっていうのは、2人で行ったりとかすると、「同じ部屋でいいんですか?」とか、変に気を使わせたりとか、いろいろとこう、言ってはいけない話があるんじゃないか、とか。気を使うような感じだったんで。なんかもうオープンになって、みんなすごく気が楽になってみたい。

だから「2人の洗濯物とか置いて帰っていいよ」って何箇所もあります。日本中に。

お互い、まあ1人の時と、そんなには変わらず、生活も今でも二拠点で芦屋と茅ヶ崎と。2人でいる時は外で会うっていうか、色々。地方で会うことの方がいまだに多いんじゃないかな

◆ ゆるぎなく大切にしてきたこと

「みずのたま」 ◆

――いやぁ、本当にお幸せそうで何よりです。ところで、そんな美栄子さんが今まで大切にしてきたことがあれば教えてください。


これは、感謝ですかね。今、私さっきね、自分で「感謝」っていう言葉を言った時に、「あ、感謝しかないね」っていう言葉を常にどの時代も人から聞いてたんですね。

エステティック時代にがんの方がいらっしゃって。ずっと通ってたのに急に来なくなっちゃって。でも「DM禁止」ってなってて。家族には内緒で来てたので電話をすることもできない。そうしたらご家族から突然電話がかかってきて、「ガン末期なんですけど、もう動くこともできないので、平垣さん来てもらえませんか?」って言われたんですよ。

で、わぁと思って、何か、こう気の利いた言葉を言わないといけないって思ったわけですよ。でも5分しか起き上がれない状態だったんですね。喋ろうと思えば思うほど、突っかかるものがあって。

そしたらお客様から「平垣さん、生きていくってことは感謝だよ」って言われたんですよ。もう私も泣くまいと思ったけど、どばーと泣いちゃって。この5分間いい言葉をお話ししようと思ったのに、いいことを言われてしまっても、でもそれ以来、そうだよねって思うようになりました。

――最後にいただいた、すごい大きなギフトの言葉だったのですね。美栄子さんの笑顔の裏側にその「感謝」のひかりがあるんですね。ほんとうに今日は、ありがとうございました!!

※平垣美栄子さんの連載『笑って暮らす』のバックナンバーはこちらからお読みいただけます

『笑って暮らす』

死ぬ時が人生の最高峰(前編)
「人生楽しんだもん勝ち」
自分の中から湧き上がるものに耳を澄ます
私、いつも笑ってる
「自分に嘘をつかない」
好奇心・自分に嘘をつかない
「”生かされている命”を全う」
自分の心を満たしておく