2022.3.25
「ご縁」のおかえし

垣内 栄

ライター・編集者。

1969年大阪生まれ。奈良女子大学卒業後、IT企業を経て出版業界に転職。女性誌の編集部に勤務後、2002年よりフリーのライター・編集者となる。おもに単行本・女性誌・健康雑誌・企業誌・WEBサイトの企画・編集・執筆で活動。

ライター・かっきーの「今すぐできるキレイの作り方」

単行本のほか、女性誌・健康雑誌など編集、執筆事例多数

――今日の「みずのたま」インタビューは、フリーライター・編集者の垣内栄さんに来ていただきました。いつも「かっきーさん」と呼ばせていただいているので、今日も「かっきーさん」と呼ばせてくださいね。

では、まず初めに、どんなお仕事をなさっているのか、自己紹介からお願いします。

私はフリーランスのライター、編集者をやっていまして、書籍や雑誌の企画・編集・取材執筆を主に仕事にしています 。

ーーどんなジャンルが多いのでしょう?

テーマは健康美容系が多いです。雑誌ですと週刊誌の『女性自身』ですとか、健康雑誌だと『ゆほびか』という雑誌。健康美容とは違うんですけれども、フランスに住んでいる中村江里子さんの『セゾン・ド・エリコ』というパーソナルマガジンの日本チームの取材を担当してます。

――プロ・アクティブで以前連載いただいていたコラム『ライター・かっきーの今すぐできるきれいの作り方』は今も人気。美容・健康には前から興味があったのですか?

そういったわけでもなくて。もともとは、もうちょっと人の人生とか、ライフスタイル全般のインタビューをしたいという方向があったんですけど。仕事をしていくうちに健康美容の取材がすごくて。

そうすると知識もどんどん私の方にもたまっていって、そのうち本当に専門分野的になっていって、お医者さんとか専門分野的な取材が、気づいたら多くなっていったという感じです。

――最先端の情報が集まってくるポジションにいらっしゃるということですよね?

そうですね。新しいメソッドものを取材することが多いので、面白い企画で読者の方を楽しませていかないといけないというのが雑誌の使命なので、どうしても既存のものよりも新しいものをお知らせすることが多くなっています。

――新しい情報に触れた時は?

もちろん、すごい面白いなと思うんですけれども。面白いだけじゃなくて、医療情報とか健康情報ってやっぱりエビデンスが絶対必要。それが本当に効果があるのかっていうところをちゃんと伝えないと。

もし読者の方が間違ったことをやって健康を損ねてしまってはいけないのでという注意点はあります。

――そこは伝える人の責任?

そうですね。

――もともと、学生時代から編集ライターを目指していらしたんですか?

まったく、その勉強というのはしていないんです。

中学時代にオフコースがすごく好きで、小田さんが好きで。

もう音楽雑誌のインタビューを読み漁っていて。その時に女性のライターさんがインタビューして作っていた本があったんですね。それがすごく小田さんの内面に迫った内容で、「こういう仕事がしたいな」って思ったのがきっかけなんです。もともとは。

でも勉強をそのためにするってことは全くなくて。

何でしょう。中学生の時とかって、黒板に先生が書いたものをノートにとるじゃないですか。それを家に帰ってきて、全部書き直すんですね、私。

――清書するみたいな?

いえ、清書じゃなくて、本?参考書みたいにするのが好きで。

「ここ、重要!」みたいな色を付けたり。それは別に勉強ってわけじゃなくて、したいからしてたって感じなんです 。

――それはもう、編集者じゃないですか!?

そう!だから、趣味というか。ずっと昔からそういうことはやってたな、って今になって思うと。

勉強してたっていうより、わりと日常的にやってたって感じですかね。

――センスと才能は最初からあったんですね~

いや、それは何処に出すってわけじゃなく、自己満足でやってたんです。

とはいえ、私、大阪に住んでいたので。編集者の仕事って、基本東京に出版社がありますよね、マスコミって。マスコミにすぐに行こうって言うふうにはならなかったんですよ。また、なれると思わなかった。

逆に、日常的にそういうことやってても、例えば当時だったら『an・an』とか『オリーブ』とか、そういった華やかな雑誌とかを見て、自分はそういう場で働けるっていうことに結びつかなくって。

憧れはあるけど、まぁ自分は無理だなって思っていて。編集者になろうっていうふうには思ってなかったんです 。

――では、大学卒業時は一般企業に就職されたのですか?

これからはITだと思って、IT企業に就職しました。

みんなプログラミングとかそういうことに従事しているんですけど、私は途中から、社内の技術情報がプロジェクトごとにとどまっていて共有されてないから、そのナレッジを共有する仕事になって。

各部署に私が取材に行って、それをBookにして社内に技術情報を広く行き渡せるという担当になったんですね。

その時に思ったのが・・・。元々は技術の会社で、みんなプログラミングとかやってるのに、私がそういう取材担当になるって言うのは運命なんじゃないかな(笑) 天からのメッセージかなって思って。

とはいえ、その安定した会社を辞めるっていうことに踏ん切りつかないし。しかも、雑誌とか出版業界に全くコネクションがないので、そこに行くっていくっていうのがまだその時は結びついていなんですよ。

でも95年に阪神大震災があって。それを経験してやっぱり本当に、いつ人はどうなるか分からないから。ちょっと気になってること、やりたいことっていうのはやっぱりやらないと駄目だなと思って。その95年の9月に辞めたんですよね。 

――当時社内でそのお仕事は評価されていた?

いや、やはり社内ではシステムを作るっていうことがお金になる業務ですから。私がやっていることは社内の売り上げには直結しないので、特にそれが評価されたってことがなかったんですけど。

まぁIT企業だったので当時からマッキントッシュが一人一台もらってて、それで自分でレイアウトとかも組んだりとかしてたんですよね。

――そのIT企業時代も文章だけじゃなくて、レイアウトまで?中学時代のノート編集とおんなじですね!

そうなんですよ。でも、それも経験として、出版業界に持っていけるか?っていうと別なんですけれども。とにかく楽しかったんです。

やっぱり、私この仕事すごい楽しい!って思って。取材をしたり本を作るっていうことが。

それだけで本当に何のあてもなくやめました 。

――とにかく、好きだからやめた?すごい!とはいえ、安定した企業務めから、最初はどうやって仕事を得たのですか?

それは芸は身を助けるじゃないですけど。ITにいたから、そういうITまわりのことを始めるのが早かったんですね。当時まだインターネットとかはなかったんですけど、ニフティ通信っていうのがあって。いち早くそこに参加していて、そこに編集者とかライターのコミュニティがあったんですよ。

そこで大阪の編集プロダクションの求人を見つけて。未経験でも OK っていうことで、行ったら、すぐ来てくれって話になって。

会社辞めて2ヶ月ぐらいで、編集プロダクションで働くことにになりました。

新聞の求人を見て、応募してというのではなく。当時から早く始めていたネット環境で見つけられたのは、前の仕事があったおかげかなと思っています。

――学生の時にこれからはITだと思って・・・。それはチャンスをつかみましたね。その編集プロダクションではどんな仕事を?

『ぴあ』という雑誌を作られた人たちの編集プロダクションだったので、『ぴあ』のお仕事とか、旅行雑誌とか、いろんなジャンルの取材をしていて、そこで基礎的なこと、取材の仕方ですとか編集の仕方ですとか。まあそれを学んだって感じですね。

――それは、憧れの小田さんに近づいたんじゃありません?

そして、大阪の編集プロダクションから大阪の出版社に入ったんですけど。基本的に、やっぱり大阪にいると地方の情報しか取材できないんですよ。

私がやりたいことっていうのは、小田さんのインタビューじゃないですけど、東京に行かないと無理だと思って。

それで結局、ちょっと遅いんですけど、30歳になった時に、東京に行くことを決めて。

『CAZ』という女性誌の編集部に入って、そこでお仕事することになったんです。

その時にその雑誌に音楽コーナーがあって。「小田さんの取材をしますよ」って担当の人が。私が小田さん好きだから、そう言ってくれて、「一緒に行ってもいいですよ」って言ったので 、(笑) 

――え~~、会えたの?それはすごい。素晴らしい!!

会えたんですよ、夢かなっちゃった!

小田さんの隣で取材をさせて頂いたっていう本当に貴重な体験をさせていただきました 。

そこで2年間勤めて、32歳でフリーになったんです。

――何かフリーになるきっかけはあったんですか?

女性誌の編集部って毎日楽しいんですよ。

「さぁ、お店のリサーチに行こう」とかね。で、女性誌の編集部にいると、いろんな化粧品とかも使い放題って言うか。送られてくるので。

そういう環境は楽しいんだけど、自分がやりたいことって、何かもうちょっと、原稿を書くスキルを磨くとか、編集のスキルを磨くっていうこと。それが、そこにいたらなかなかできなくて。

自分一人のチカラをちょっと試してみたいと思ったんですね。

その時は、「フリーでやってくぞ」っていうより、「フリーになっても、ダメだったらまた編集部に戻ればいい」くらいで、あまりそんな覚悟を決めたというわけではなく。

とにかく自分一人のチカラがどれだけ評価されるのか、見てみたいなと思ってやめました。

――その時、暮らしていけないかも、とか不安はなかったですか?

それはあまりなかったかな。編集者として仕事をしている時、ライターさんにお仕事をふっていて、みなさんライターさんとして食べていってたし。

まだまだ、そこまでその時は出版不況じゃなかったんですよ。その後すごい出版不況が来るんですけど。

だからあんまりその時も不安はなく、やめちゃいましたね。

――その後フリーになられて、お仕事はどうやってとってきたのですか?

それはですね。結局32歳の時にフリーになって、20年フリーで続けているんですけど。20年間ほとんど営業ってしたことがなくって。

取材をする時、カメラマンさんと知り合いますよね、そしたら、カメラマンさんが「今度こんな仕事あるんだけどやる? 」っていうふうに紹介してくださったり。

紹介がずっと続いていて「わらしべ長者」方式っていうんでしょうか(笑)

ほんとうにそんな感じでずっと来た感じなんですよね。

――それは紹介者に信頼されるだけの仕事をしてきたっていうことですよね?

そうですね。基本的なことしかしてないんですけど。納期を守るとか。

そういった基本的なことしかしてない。まあもちろんちゃんとクオリティのある原稿をだすっていうのは当然ではあるんですけど。

取材した人と仲良くなったりっていうこともありまして。その人が今度他の雑誌に出るときに指名してくださって、また他の雑誌とつながるという事もあるので。

ただ、その人と仲良くなるというか、紹介してもらおうと思って、仲良くなるんじゃなくて。

取材していると、その人の本質みたいなのがすごくわかるじゃないですか。

それが「素敵だな~」と思ってプライベートでもお付き合いするようになったりとかして、広がっていくみたいなところがあるので。

あんまり「仕事」とか「利益」とか、そういう観点では仕事してない感じですかね。

――いろいろな人と知り合えるライターって素敵なお仕事ですよね?

そうですね、自分の周りにはいない人たちに突然会えて、ご縁が広がるっていうのはすごい楽しい仕事だと思いますね。

――大勢の人に会われていると思いますが、「この人おもしろかった」っていう人を挙げるとしたら?

いっぱいいます、本当に。

一般の人の方がすごく身近だったりとか、面白いなって思うこともあるんですけど。

まぁタレントさんとかでいうと・・・阿部サダヲさん!

すごい素敵な方だったんですけど、すごいシャイな方で、目を見て話してくれない感じなんですけど。なんかそういうところが作ってない感じ。

やっぱり作って出ていらっしゃる方もいらっしゃるので。

――素のその人に触れられる特典みたい?でもミーハーな感じは見せられない感じですか?

そうですね。絶対見せられないですね。いっぱい周りにいろんな方がいらっしゃるので。

例えば映画の宣伝だったら、映画の担当者からマネージャーさんがいらっしゃる中で、一人「すてきね!」とかミーハーなことは言えないですね。

心の中で「すてき」って思ってます

――かっきーさんのお仕事の中で「これは手ごたえがあった」というか、代表作と言えるものは?

なんでしょう。いろんな著者の方の本を作ってきて、どの方もすごく面白いんですけれど。代表作というか、すごく売れた本があったんですよ。

私が一番最初に書籍の編集をまるごとさせて頂いた本がですね。いきなり30万部くらい売れて。

その先生はダイエットの先生で、テレビにすごく出たこともあって。もう Amazon のベストセラーランキングの10位以内にいつも入ってるみたいな感じだったんですね。

ビギナーズラックっていうか、本当に最初に作った本で、そんなに売れるって言うのが自分でもちょっとびっくりしたんですけど。

それは私の実力じゃなくて、先生の実力なんです。

先生が有名になって行くから本が売れたっていう。

だから私の実力が判断されてるのかっていうのはすごく分かりづらい所でもあるんですけど。

やっぱり売れる本を作らないといけないなと思ったのは、売れる本を作ったら多くの人が見てくれるじゃないですか。それだけ皆さんに役に立つってことだから。

「いい本ですよ」って言っても売れなかったら人の目に触れなくなると役に立たないことになるので。

やっぱりそういう意味では 、いくら売れるかっていうのはすごい大事だなって思っています。

さっきおっしゃっていた私の代表作って言っても、私は著者ではなく、著者に取材して書くので、私の力だけではなく、デザイナーさんがすごくきれいにデザインしてくれたり、カメラマンさんがいい写真を撮ってくれたことで、それが売れるということもあるので。なかなかそこが難しいとこですね。

――一人のチカラだけじゃなく、チームプレイってことですね、本を出すって。編集者にとっては、そういうコミュニケ―ション力も大事?

そうですね。たとえば、もし、私の文章がいまいちでもですよ。すごい綺麗にデザインしてくれたとかで、すごくよく見えるようになったっていうこともあるでしょうから。リレーって感じですね。

――リレーしていく仕事も楽しい?

やっぱり楽しいですね。どうでるか、わからないとか、「あ!こう来たか」みたいなところは。写真やデザイン。ビジュアル部分って大事なので。

それはすごく楽しいです。

――著者になろうと思ったことはないですか?

ないですね~。私自身が伝えられることがないって感じですからね。

色んな素敵な人がいて、それを伝える役目なのかなって思ってます。

――取材した中で自分の中でルーチンにしている美容法、健康法とかはありますか?

それも本当に自分でわりと、何かに、はまらないようにしてます。

「この化粧品だけ使ってます」とかって言うと、他の製品をご紹介する時に語弊があるし。

いろんなものを使える自分でいるってことですね。

――フラットでいるということが大事なんですね。なるほど

  ※ご自宅近くの海岸で。

――順風満帆、ご成功されているライターさんだと思いますが、いままでトラブルとか苦労とかはなかった?

そうなんですよね。あんまり・・・。苦労はしてるというか、トラブルとかもいっぱいあるし。

苦労っていうか・・・まぁ、大変なこともあるんですけど。あんまり苦労って語ることを思い出せないというか(笑)

ちっちゃなトラブルはいっぱいありますよ。ギャラ払ってくれないとか。(笑)

倒産しちゃったとかね。

あと、びっくりすることでいうと、仕事受けるって言ってないのに、先にギャラが払われた!

「お前、仕事しろよ~」みたいに(笑)。

――囲いこまれた?(笑)

その仕事はちゃんとしたんですか?

しょうがないからやりましたけど、それはやはりルール違反だなとは思いましたよね。

――今後こんな仕事がしてみたいとかは?

それもね、本当になくて(笑)

希望とか夢ってありますかって、聞かれるんですけど。

編集さんから「今度こんな取材がありますよ」って言われて会う人達は未知の人たちで、そこで本当にすごい出会いはいっぱいあるので、自分から出会いたいって言わなくても、なんか出会うべき人に導いてもらえるのかなって思っていて。

本当に、あんまり自分でこの方向に行きたいとか、ここに住みたいとかがなくなってきました。

最初の頃はさっき言ったみたいにライフスタイルとかこう人生をインタビューしたいって思ってましたけど。

なんか自分のやるべき場所に、仕事を毎日していると連れて行かれるって感じで。それが自分の役目なのかなって思っていますね。

――フリーライター・かっきーさんが今まで仕事をする上で、大切にしてきたことがあったとしたら、それは何ですか?

やっぱり、人なんですよね。人のご縁で仕事をしてるんですよ。

だから本当にご縁を大事にする。

その仕事を紹介してくれた人が私がおろそかに仕事をすると、その人の顔に泥を塗ることになるし。

「紹介してくれてよかったよ」って言ってもらう仕事はしないといけない

それがお返しになるのかなと思っているので。

本当にご縁をありがたく受け取って、私もいつかご縁を皆さんにお返しできるようになるといいなって思っています。

――かっきーさんのお仕事成功の秘訣を伺えた気がします。今日はありがとうございました!

 

自由に、楽しく。
「自分が幸せそのもの」
「おかげさま」の祈り
死ぬ時が人生の最高峰(前編)
自分の中から湧き上がるものに耳を澄ます
死ぬ時が人生の最高峰(後編)
「自分に嘘をつかない」
天道生え(てんとばえ)