2023.2.27
人に依存しない。自分で決めて、自分で受け取る

岡本 祥子

日本ホメオパシーセンター
東京吉祥寺「フィリア」センター長

岡本祥子(おかもと さちこ)
1970年8月生まれ しし座 B型

東京都出身
桐朋学園小学校、桐朋女子中高卒業
東京藝術大学美術学部芸術学科卒業
母、祖母、曾祖母は学校教師。
アート大好きの母親の元育ち、
当初は美術商を目ざし、
大学卒業後(株)伊勢丹入社、美術工芸サロン勤務。
体調を大きく崩し、退社後療養生活を送る。
薬に頼らない療法を模索し、温泉治療、断食など様々な療法を試す中でホメオパシーに出会う。
日本にホメオパシーを伝えた草分けの由井寅子氏に師事しロイヤルアカデミーーオブホメオパシー(RAH 現在はCHhom)にて学び、
卒業後は東京本部にてホメオパス、ホメオパシー学校講師として10年間活動。
ホメオパシーを学んでいた2000年3月に息子を出産。
妊娠出産、子育て全てにホメオパシーを実践。
2011年東日本大震災を期に東京本部を辞し、
2012年3月、東京吉祥寺にて友人の伊藤知子ホメオパスと共に、
フィリア(ホメオパシーセンター東京吉祥寺御殿山)をオープン。
フィリアは2022年3月に10周年を迎えた。
これまで行った個人相談件数は1万5千回以上を数える。

JPHMA(日本ホメオパシー医学協会)・HMA(英国ホメオパシー医学協会)
認定ホメオパス
CS 60 フェローシップ会員

日本ホメオパシーセンター東京吉祥寺「フィリア」

イマココ・ストア健幸コラム
『フィリア姉妹の ほめられホメオパシー』
全8回連載
https://column.ima-coco.jp/category/phillia/

――こんにちは。みずのたまインタビュー。今日は吉祥寺のご近所さんでもある岡本祥子さんに来ていただきました。私は一緒にご飯を食べたり旅をしたりと、公私ともにお世話になっています。その岡本さんをここでご紹介できるのがとっても嬉しい!では、さっそくですが自己紹介からお願いします


はい、私は自然療法の一種のホメオパシー療法のセラピストとして、ここ東京吉祥寺の地でホメオパシーの相談室をやっている岡本祥子(おかもとさちこ)と申します。

――ホメオパシーをご存知ない方もいらっしゃると思うので、ホメオパシーについて簡単に説明をお願いしてもいいですか。

ホメオパシーはですね。もともとドイツ発祥で18世紀にハーネマンというお医者さんが始めた療法なんですね。

例えば熱を出した時に、熱を出すような働きを持つ植物とか鉱物とか、そういうものを薄めて、薄めて、薄めて、物質がないぐらいの情報だけにしたものを「レメディ」として摂ることによって、体が気づきを得て、自然治癒力にスイッチが入って、自分の力で病気が治っていく。そういう働きがあります。

同じく、いろんな症状に向けてその症状を引き起こすような植物とか鉱物とか、その他いろんな物質から何1000種類にも及ぶ数の「レメディ」があります。

物質はないんですけれども、情報でその人の体に気づきを与えたり、心に気づきを与えて、自分の力で自然治癒力で治っていくっていうのをお手伝いするのがホメオパシー(同種)療法です。

■ホメオパシーとの出会い■

――そのホメオパシーを知るきっかけは?

もともと私は古美術商になりたくて、オークションの仕事などもしたくて、東京芸術大学の芸術学科に入学して、美術史を学んだんですね。

卒業した後でその第一歩としてまずは百貨店の美術品売り場で仕事を始めたんですけれども、何年かして体調を崩しまして。

アレルギー症状がたくさん、あちこち出るようになって、仕事ができない状況になったんですね。そして仕事を辞めて。

その時病院に行ったりもしてたんですけど、病院の薬だとその時は症状が抑えられるけれども、また後でよりひどい状況で出てきてしまうことを体験したので、薬じゃない、病院じゃない方法で治したいなと思いまして。

食事療法であるとか温泉療法であるとか、いろんな所で薬を使わない療法を転々と試していたんですね。

で、その中で本当に体の具合が一番悪い時に、東北の温泉治療する病院に3ヶ月ぐらい入院してたことがあるんです。盛岡だったんですけど。

そこで同じ病室で3ヶ月ぐらい一緒に過ごした人がいて。その方が私の今の師匠である由井寅子先生にホメオパシー療法でかかってまして。

「岡本さんも行ってみなよ」って言ってくれたので、退院して東京に帰ってから由井先生の相談室の門を叩いたというのが始まりです。

その時、由井先生がイギリスからホメオパシーを導入してきたばかりで、学校を開いたというので、その2期生に入学しました。というのも、学びながら体も良くなっていったらいいなということで、勉強もしようと思いまして。

■アレルギー克服~教える立場に■

――その後、教える立場になられたと聞きましたが。

はい、学校を卒業して、東京本部センターというところでホメオパシーの相談会というか、相談業務を始めたんですけど、3年目ぐらいの時に私の師匠の勧めもあって、そのホメオパシー学校の講師もさせてもらうようになりました。それは10年間続けました。

――ホメオパシーが日本に入ってすぐから関わっていらしたんですね。


当時私がホメオパス(ホメオパシーの療法士)になったのが30歳でして、本当にまだ年齢的にも若いですし経験も浅いんですけど、そういう私に声をかけてくださって。

未熟者ながらも、なんとか、なんとか、悪あがきをしながら講師を必死でやっていた時代でしたね。

※講師として後進の指導をする傍ら、学会発表も。

■独立☆「フィリア」相談室開業■

――そして、講師を経て今お話を伺っている吉祥寺のこちらで「フィリア」というセンターを開業されたのですね。その独立開業にいたるのには何かきっかけがあったのですか?


東日本大震災が2011年にあって、その時、ちょっときっかけがありまして、一旦東京本部センターを離れることになったんですね。1年ぐらい何もしていない時期があって、その時は子供の学校のPTAとかやってたんですけどね。

で、もともとその東京本部センターで親しくしていた、今一緒にやってる伊藤知子ホメオパスと「将来一緒にセンターができたらいいね」ってお茶を飲みながら話したりしていたので、これを機に二人で、二人のお家の近くにある「吉祥寺で相談室ができたらいいね」っていう夢を、実現させることができました。二人にとっていろいろ青春の思い出深い場所なのです、吉祥寺って。

今年で11年になります。

――女性二人での運営。今まで仲違いもなく、11年。うまくいった秘訣はなにかあるんでしょうか?

そうですね、一つは性格が真逆なことでお互いの得意分野というか、性格的に長所が全然違うっていうこと。競合しないっていうことが一つ。

あと、二人とも一応、女性の殻を被ってるんですけど、中身がおっさんなんですよね(笑)

だからそういう、なんか女性ならではの嫉妬とか、そういうのが全然ない二人です。

■芸術 ~母の影響~■

――私は、ホメオパスとしての岡本さんもリスペクトしているのですが、岡本さんのその美を見つけるセンスというか、芸術に対する目が素敵だなと常日頃感じているんです。芸大を目指したということは、それは幼少期から芸術に興味があったからなんですか?


はい、それは母から影響されたと思います、子供の頃から。

母は中学の理科教師をやってたんですけども、もともとはデザインの勉強をしたいっていう希望がありまして。新潟にいたんですけれども、大学受験の前には、毎晩おばあちゃんの枕元で「東京のデザイン学校に行かせで欲しい」とか「美大に行かせてほしい」って泣いて頼んでたそうなんですね。

だけど当時、まあ貧しさもあったし、4人兄弟の一番上だったので。親の勧めのまま新潟大学の教育学部に入って、理科教師になったんですよね。美術の教師の資格もその時取ったんですけど。

その母が、私の小さい時からいろいろ工作を一緒にしたり、美術展に連れてっててくれたりとか、そういういい影響を与えてくれたんだと思います。

――じゃぁ、東京芸大に進みたいというのはお母さまも応援してくださった?


なんかサブリミナル効果というか(笑)。「そうなれ!」「そうなれ!」っていう気持ちを感じてきたところもあると思うんで、まあ芸大に入った時は自分のことのように喜んでいましたね。

■母から私、そして息子へ■

――その美しいものを見る目というのが今は息子さんにも受け継がれているようですね。


そうですね、息子は今、美術館で流れる動画を取材したり撮影したり編集したりする副業をしがてら、電通っていう広告代理店の映像部門のクリエイターの仕事をしているんですけども。

やっぱり自分の中で子育てする上で、美への意識とか、創造性とか。そういうことには、すごく重きを置いていたんですね。

なぜかというと、そういうのって、やっぱり子供の時から美しいものとか本物を見ていないと、大人になってからなかなか身につかないっていうとこもあるのかなって。

自分の人生経験の中から思ったんですね。

ですから、子供の時からいろんな工作とか、創作活動をさせたりとか。外国に旅行に一緒に連れてったり、美術展を見せたりとか、そういうことをしてました。

あと、何より近くに住んでいた私の母が、地元の小学校とか家とかで工作教室をやってたんで、それに行ってるうちに、いつしか助手のようになっていましたね。

一緒に間近でそういう創作活動を祖母と一緒にやってきたっていうのが、やっぱり一番大きいんじゃないかなと思いますね。

■アートとセラピー■

              

――岡本さんはホメオパスという職業でセラピストさんでいらしゃるけれど、アートとセラピーって、人を癒すという点では何か共通点がありそうですね?


そうですね。ホメオパスもやっぱり感性と創造性が大切な仕事だっていうことには変わりなくて。

人のポテンシャルとか、創造性を広げていく、人の可能性を開花させる仕事ということにおいては、芸術の分野と同じぐらいの仕事なんじゃないかなと思っています。

クライアントさんのお話を聞いて、「合うレメディはこれだな」とか、連想ゲームのように頭の中にいろんなレメディの特徴が浮かぶ。それを選んでクライアントさんに渡して。

そして、そのクライアントさんがそれを摂ってどんどん変化をして、その人自身の内面が癒されたり、開花されたり、可能性が広がっていくの見るのが私にとって、一番のアート活動なんですよね。

やっぱり人間の可能性を開花させる創造的なお仕事なんですよ。

■クライアントに磨かれてきた■

――そんなホメオパスとしての経験の中で特に強く印象に残っている経験はありますか?


まあ、どの方っていうわけではなく、いろんな方が心にいろんな悩みとか背景を抱えて、いらっしゃるわけなんですよね。

クライアントさんの話を聞く中で、自分の心の中にそれに共鳴する部分とか、同じような悩みがあったり、同じような過去の傷があったりすると、それを自分が見て、照らす機会をもらえるわけなんですよね。

そのクライアントさんがそれを乗り越えて、癒されて元気になる姿で、自分も一緒に成長することができて、自分の問題も解決したりする。

なんかね。自分の中では「こんな問題なんて人に話すことではない」みたいな、光も当てずに放置していたことを、クライアントさんが言葉にしてくれるんですよ。

そうすると、「これはやっぱり問題だったんだ」っていう、自分で自分の中で気づいて、それを解放していくことが自分もできた。

その積み重ねでずっと20何年もやってきたっていうのが、本当に宝物になりました

――クライアントさんに向き合いながら、自分も磨かれてきたっていう感じ?


そう、だから本当にクライアントの一人一人がわざわざ向こうから私を気づかせに来てくれる

私を助けに来てくれる感じなので、ありがたいお仕事なんですよね。

■離婚 乗り越えた先■

――そんな岡本さん。とはいえ、これは辛かった、大変だったという経験はありますか?

そうですね。アトピーになって仕事ができなくなって、もともとの夢だった古美術の仕事とかオークションの仕事ができなくなったというか、一旦それは諦めたっていうところは一つの最初の挫折でしたけど。

その結果ホメオパシーに出会って活動してきて。

でも、数年前の離婚っていうのが、次の大きな辛い出来事でしたね。

当時はもう、毎日毎日夜になると、泣いて眠れない日々が続いて。で、昼はお仕事に行かなきゃいけないので、仕事で人の悩みを聞く。その時はまあ笑顔で涙も見せずに話を聞いて、夜になると一人で泣くっていうね。

自分はまだ友達とか、聞いてくれる方がいたのはありがたかったですけど。

まあそれも自分で乗り越えたっていうのは、やっぱり時間が解決してくれたのが大きいかなと思います。

――時が必要だった?


そうですね、大切な方を失ったりとか辛い出来事があった人に「時が解決する」ってよく言うじゃないですか。

本当にそうだなと思って。

そして、時間が経った後で、なんか成長を見せてる自分がいるんですよ。

過去のものを処分して、新しい人間関係とか新しいこととか、新しい興味が入ってきて、バージョンアップされた自分がいる。

だから、断捨離終了みたいな、ビフォーアフターになって。

今本当に自由だし、心も軽いし、楽しく過ごせている。そのきっかけになった出来事とか元夫にも今は感謝の気持ちがあります。

――経験値、上げましたね。


そうそう、それとやっぱり、離婚とかアトピーとか病気とか、そういう辛い経験があったっていうことが、後々、クライアントさんの本当の辛さを理解できることになるんですよね。

だから離婚のこととかがある前の自分って、もうちょっと傲慢だったと思うし、人の心の痛みとかを、今ほどは分かんなかったと思うんですよ。

だから仕事上でもすごいメリットだなと思いました(笑)

■「女神力」☆ライフワーク■

――そんな自由になった岡本さんが、さらにこれからやりたいこと、挑戦したいことはありますか?


はい、私のライフワークについてお話させていただいてもいいですか?

私のライフワークは、その人その人の中にある、特に女性ですが、「女神力(めがみりょく)」を開花させるっていうことがライフワークです。

私自身は代々女教師ばっかりの家系で、母も祖母も曾祖母も学校の先生だったんですね。

そんな中で経済的な自立をしたりとか、欲しいものを買えたり、言いたいこと言えたりするっていう、どっちかと言うとそういう家庭環境で育ったんでですね。

私が進路を選ぶに当たっても、「女だから勉強するな」とかそういうことも言われず、育ってこれたのは本当によかったと思うんですけど。

社会に出て、こういうホメオパシー相談で来るクライアントさんの話を聞いてみたら、「女性だから勉強なんかいらない」って言われたりとか。家族、旦那さんとかいろんな人の前で言いたいことが言えないとか。

自分に自信がなくなっちゃって、自分の心も抑えて、発言も抑えて生きている女性がなんと多いことかっていうことを知ったんですね。

私ができるのはホメオパシー療法というツールを通じてなんですけれども、そういった方々がホメオパシーの療法、レメディを摂ったりお話をしたりして、その人本来の持ってる、生き生きとした部分がどんどん解放されて、人柄も明るくなって、発しているエネルギーもすごく明るくなっていく

どんどんどん進化していくのを、いろんな方で見てきたんですね。

で、これこそが、私の仕事をする上での喜びだし、やりたかったことだ、やっていきたいことだと思ったんですね。

■ゆるぎなく大切にしてきたこと

「みずのたま」

――そんな岡本さんが振り返って、今までこれはずっと大切にしてきたことがあるとしたら、そしてそれを言葉にするとしたら、何でしょう?


そうですね、子供の時からあって、今となって、はっきり分かったのは、「自立」っていうことだと思います。

それは人に依存しなくて、自分で決めて、自分で受け取る

経済的自立もする。

何か経済的な理由とかで、人の言いなりにならなきゃいけなかったり、自分の考えを曲げたり押さえたりしなきゃいけないってことをしないっていうのが、自分の中の矜持というかな?

一つ大切にしていることだったんだなと人生を通じて今、思ってます。

――いやぁ、すてき!こんな岡本さんに会いに、「女神力」をあげにぜひ吉祥寺フィリアにみなさんお越しいただきたいですね。岡本さん、ありがとうございました!

―― 岡本さんと伊藤さんのお二人によるコラムも合わせてお読みください。

■イマココ・ストア健幸コラム 「フィリア姉妹のほめられホメオパシー」全8回■

死ぬ時が人生の最高峰(後編)
天道生え(てんとばえ)
「ほんとうのことが、知りたい」
自分をだいじに。
イー環境を繋いでいく
こどもが見せてくれる
ぶれない、何にたいしても。
信じるということ