2022.5.12
好奇心・自分に嘘をつかない

長谷川 章子

ミッション・ナビゲーター

有限会社元気 代表取締役/ミッション・ナビゲーター
OL生活の中で体調を崩したことを機に、精神世界を探求、自己研鑽を続ける。
「人生と経営の羅針盤」として平成10年よりチャネラーとして相談業務を開始。
また、オリジナルの「観音カード」を使っての未来予測は鋭い洞察力と
時代背景を踏まえた適格なアドバイスは好評を博している。
「スピリチュアル・ビジネス・国づくり」をテーマにした各種イベント企画や
国内での講演会「水の如く生きる会」「ミッション・ナビゲート講座」の講師、
また国内外の聖地を訪ねる「光を観る旅」を200回以上、主宰している。

URL: http://mission-navi.jp/
Blog: http://ameblo.jp/mission-navi/

ミッション・ナビ

『はじまりの時』
光を観じ、愛に生きる時代へ
長典男・長谷川章子 
きれい・ねっと

――今日は「ゆの里」で「月のしずく」のご縁つながりの長谷川章子さんにお話を伺います。

長谷川さん、よろしくお願いいたします。

はじめまして。長谷川章子と申します。

ミッションナビゲーターという肩書を自分につけて活動しております。

メインのお仕事はオリジナルの三十三観音カードというものを使った個人セッションなんですが、それ以外にも講演会の企画ですとか、講演講師業。聖地を訪ねるツアーを開催したり。

あとは社会奉仕的な立ち位置として、政治のこと。これからの次世代にどんな日本を残したいのかという、そういうことを勉強する会なども開催して活動しています。

テーマとしてはスピリチュアル、ビジネス、国造り。

この3つの柱でお仕事をしてきました。

――テーマが大きいですね。個人から社会、国、もしかしたら宇宙まで。

そして、主催されるツアーのネーミングが素敵ですよね。

光を観る会」。みるは観音様の「観」ですよね。

これは観光という言葉をそっくり使っているんですけれど、その昔観光といのは神仏にお参りにいくことが観光と言った。今「観光」というとレジャーランドに行くというのが「観光」になってますけれど、そもそもは、お寺とか神社の神様の光にお参りに行くというのが語源らしいいんですね。

――素敵ですね。その「光を観る旅」で「ゆの里」にも?

はい、そうですね。ツアーが始まったのは2015年の7月からなんですけれど。それ以前に本格的にそのタイトルでツアーを始めたのは2010年からですね。それからです。

――そして私もしていただいたカードリーディング。

あれは「三十三観音カード」と言いまして。三十三応身という33通りに観音様が変化(へんげ)して衆生、私たちを救ってくださるというのが三十三観音。

そもそも三十三応身というのは仏教の中でいわれている言葉なんですが、そんなにたくさん化身(けしん)するのは観音様だけなんですね、仏教の中では。

スタートした時は33枚だったんですけれど、5.6年前に十四枚明王様のカードが増えまして、合計47枚のカードでリーディングしていて、今はほぼほぼ、それがメインのお仕事になっています。

――リーディングとは、どういうことをするのですか?

そもそも、巻き戻して話すと、私はもともとチャネラーからスタートしているんですね。

――チャネラーとは?

チャンネルを合わせるというのが語源だと思うんですが。

誤解を恐れずに言うと、見えない世界の方々の声を通訳するというお仕事で。

これが1998年にマウイ島に行ったときから始まったんですけど。山の精霊の声が聴こえ、それから観音様の声を受信するようになり、その後 聖母マリア様とか、イエス様、アマテラス様やスサノウ様、お釈迦様、まぁ、神界のいらっしゃる方がほとんどなんですけど、そういった方々の声を通訳するというところから仕事が始まったんですね。

それが98年の3月からです。

で、その3年ぐらいたって、当時の先生から「カードを作ってみたら」と言われて。

そもそも私が一番最初のアセンデッドマスターというね、人間界にいたことはあったけれど、その人間界での修行を終えて、天界に行って、今度は人間を指導する、助けていくっていうお仕事をされている、そういう方なんですけど。代表的なのがイエス様、マリア様、観音様、お釈迦様。

最初に私が一番最初にメッセージを受け取ったのが観音さまだったので。

観音様は三十三観音をカードにしたらどうだっていう話になって。それからカードリーディングが始まったんですね。

ですから、タロットとか、そういうのは私は全く勉強したことがなくて。いきなりカードを作るっていうところから始まっちゃったんですけど。

――そもそもチャネラーという職業はいつからその才能を得たのですか?小さい頃から?

30歳を過ぎてからです。

10年間OLをしてたんですね。、短大を出た後。ただ、あの23くらいのころ、体を壊したことをきっかけに、が~っとスピリチュアルに傾倒していって。

いろんなセミナー行ったり、合宿行ったりとか、勉強したり。あと瞑想を習いに行ったりとか、いろいろしてたんですね。で30になるかならない時に「OLを辞めて、今の会社に誘われて入ったんですけど。

その時全然チャネラーになろうとか全然思ってなかったんですけど。当時習ってた先生がヒーラーを育てる講座をされていたので。

――ヒーラー養成学校みたのなのがあった?

そうそう。そうそう。そうなんです。それがあって。

ただ、その先生はいろんな道具を使って、とかそういう方ではなくて。

その人の魂のバランスがとれるようになってくると、チャクラのつまりをとっていくと、その人本来の状態になると、つながっていくっていう風な話をされていて。

ただね、1000人くらいいても本当にその仕事をいくのは3%くらいだと言われてたので。

確かにね、いろんな業界見ていても、発芽するのは3%くらいですよね(笑)

――発芽率3%!?(笑)

いろんな、どの業種を見ててもね、なんか生き残っていくのは3%みたいな。

たくさん、ほら、自然界の魚とかも卵産んで大人になって帰ってくるのって何%かじゃないですか。だから志してそういう風になりたいって言っても、なんかこうカタチとしてなるのはそれくらいの確率なんだって言われたんですけど。

だからと言って自分がすごいとかそういうことじゃなくて。任務としてそれを引き受けてやっていくっていうのはね・・・。

私もいろんな目にあいました。(笑)

――たとえば、どんな苦労を?話せる範囲で教えてくださいますか?

お金の苦労はいっぱいしましたよね。

やっぱり、当時スピリチュアル業界的なことで食べていくってにのはね。会社組織にしたのでね。 気が付いたらちょうど今年で25年たってたんですけどね。4月11日が創立記念日。四半世紀ですよね。

――おめでとうございます。四半世紀!!スピ業界ではかなり、はしりだったんじゃないですか?

そうですね。そして97年だから。その2年前にサリンまいた、ああいう事件があったりしたので、スピリチュアル業界は最大の逆風が吹いてた頃だったんですよね。

――どんなクライアントさんがいらっしゃいますか?

いろんな方がいらしゃっいます。

初期のころ、それこそチャネラーでやってた頃は、主婦の方。まあ、女性がね、今でもそうですけど、そういうことに興味を持っているのは女性の方が多いですね。

たぶん2000年ごろだったと思うんですけど、まかり間違って「オープンワールド」に出ることになったんですよ。

――船井オープンワールド?

最初500人のホールで、次いに2800人のホールで。

わたし一人よばれたわけじゃないんですけど。そういうのがあって、一気にスピリチャルが好きな経営者の方が来られることになって。そこからがらっと、来られる方の範疇が広くもなりましたし、ある意味ご相談の内容が深くなって。

――ちょっとまた巻き戻して、船井先生との出会いは?

これはね、「幸塾」って。幸雄先生の「幸い」。船井先生の塾が全国にあったんです。

当時うちの事務所が京都にあって。京都の「幸塾」を主催されている方とご縁があって、食事会とかいろいろ行ってる間に、船井先生と会合後、一緒にお昼ご飯を食べる機会があって、3~40人の人が集まって。その時に私がファンだったからたくさん本を買ってたんで、先生の帰り際に単純にミーハーだったんで「先生お名刺交換させてください」っていったんですよ。

当時チャネラーやってたんで自分のお名刺出したら、先生が名刺を受け取った時にね、眼鏡の奥の目がきらっと光った。

「君はチャネラーをやってるのかね?」

「はい、駆け出しですけれど」

「面白い、非常に興味がある。今度私の事務所に遊びに来なさい」って言われて、それですぐアポイントとって、お邪魔させていただいて、いろんな話になって、それがオープンワールドにつながったみたいなことなんです。

――それがきっかけで講演も始まった?

そうですね。当時船井総研の船井先生が主催される経営者向けの勉強会によんでいただいたり。あとは七田先生の主催される講演会にお招きいただいたりとか。本当に駆け出しのころは船井先生にお世話になっていろんなところへ出していただいたとかはあります。

――25年のあいだに印象深いクライアントさんは?

面白いセッションの話でいいですか。これHPにも載せている話なんですけどね。

愛媛の松山の焼肉屋さんの話なんですけどね。地方都市って、駐車場が必ず必要なんですよね。その方がたしか、はづき虹映さんと一緒に出した本を読まれてうちにアポイントがあったんですけど。

お店の駐車場がなくなる・・・。お店から歩いて数分のところに駐車場借りてたんだけど、オーナーがそこに家を建てるから駐車場返してくれって言われて。お困りになってこられたんですね。

お向かいにラーメン屋さんがあるんですけど、ラーメン屋さんの駐車場があるので、それを買うか借りるかしたいって相談があったんですよ。

そのクライアントの方にはチャネリングでお話したんですが、当時カードもやってたんですが、チャネリングの方がいいなと思って。

チャネリングさせてもらったら観音さまが下りてこられて。。(笑)

観音様が下りてきて、あいさつされて、どうされましたっていう質問聞いて、かくかくしかじかって。そしたら、「わかりました。ちょっと見てくるね」って。

で、数秒で帰ってこられたんです。「これね、どっちに転んでもうまくいきますよ」って、おっしゃったんです、観音様が。

それで、ラーメン屋さんが借りている駐車場はちょくちょく焼肉屋さんのお客さんが勝手に停めに行って、喧嘩になってたんです。「うちの勝手に使うなってどなりこんで。でラーメン屋さんと実は仲良くなかったんです。

だけど、そのオーナーにこういう風に言え、と観音様が。オーナーさんに対して、焼き肉やさんから6万円。ラーメン屋さんから6万円ずつ払うと。駐車場代をね。

実は、ラーメン屋さんは月10万払ってらした。それを二つのお店が同時に借りることで、両方から収入が入るようにして。

面白かったのは、ラーメンやさんは昼の11時くらいから5時くらいまでの営業時間なんです。6時って言ったかな?で焼肉屋さんは6時から夜の11時です。

だから使う時間帯が違うわけですよ。で、ラーメン屋さんにとっては月4万円コストが下がる。焼肉屋さんにとっては真向いにできるし、駐車場近くなるし。まぁ言ったら、仲もよくなるわけですよね。

で、一番おいしいのはオーナーですよ。なんにもしないで月2万円。年間24万円収入がアップするので。すべてがうまく収まったんです、3人とも。

――お客さまも嬉しいですものね。

そうそう、そう。これ、私の中で伝説のセッションなんです。

――それを言ったのは観音様!?

観音様。それは私じゃないです。通訳だから、それを通訳するんですけれど。

――観音さまが長谷川さんにおりてきて、観音様のように長谷川さんがしゃべる?

そうなんですよ。

――今こんなにかわいらしい姿なのに?観音様然として?

それが、悔しいですけれどね。わらった時の笑みが、口元が違うってみんなおっしゃるんです、その笑みが。人相から変わるんですって。で手がこう動くんです。今こうできないですけれど。なんかね、くるくるくるく動いてるんです。手がこういう感じで。

それがマリアさまのバージョンになると、またマリアの笑みになったり、声色が。空海様もたまにこられるんですけど、空海さまだと錫杖を持ってこうやって・・・よくありますよね、像に。傘かぶって、錫杖もって。行きと帰りに必ず、こう最初と最後にこう挨拶されるんです。

――なんだか長谷川さんの姿がそういう風に見えてきました(笑)

釈迦が下りてくると釈迦の声色だし、イエス様だとイエス様だし。

――長谷川さんは全くコントロールしてない?

してないんですけど、言ってること、むこうからおしゃってることと、それを通訳して自分が発してることと、それをもう一人聞いている自分と。チャネリング中って3本の回線が走ってる感じなんですよね、頭の中で。

だからセッション終わってもだいたい自分が何を言ったか覚えているので、「あれはどういう意味ですか?」ってクライアントから質問されても、「これはこういう意図でこういうふうにおっしゃったんですよ」って。トランス状態になって覚えていないタイプのチャネラーの方もいらっしゃるんですけど。私の場合は非トランス型で、やるタイプなので。

――コンサル、導きまでできますね。

後で解説したり、フォローしたり。あれなんでしょう。チャネリング中ってものすごい情報量がおりてくるので、言葉が追い付かないんです。「あ、まって~~」って言うんだけど

向こうはしったこっちゃないから、ばさって降ろしてくるんですよ、情報を。

通訳しきれなくってカットしちゃうところもあるんですね。それを後でフォローして、あの時こういうこともおっしゃっていましたっていうことを後々になって伝えたりということもあります。

――それだけのエネルギーが通るということは、疲れないのですか?ご自身のボディのメンテナンスは?

それが面白いんですけど、チャネリングすると使った分だけ置いてってくれるんです。

だから、やればやるほど元気になるんです。お腹すくし。

だからチャネリング1日10人とかやってたりしましたけど、駆け出しのころは。一時間1本勝負で10人予約入ってたりしてたんですけど。10人終わったところであと2,3人できるなって(笑)

スタッフの方が疲れてる、もうお腹すきました、みたいな。

――講演会はどんなテーマで?

それが、「水の如く」なんです。私ね、パワーポイントとかそういう資料レジュメが一切用意できないんですね。前の日にいろいろ考えるんです。明日はあれを話そうとかどういうこと言おうとか。言えたことないです。

――ライブで?

ライブで降りてくるから、その会場に集まった人たちにたいして必要な話をダウンロードするっていう感じなんですね。

集合セッションみたいな感じですよね。

――どんな方がいらっしゃる?

それはね、主催者のカラーのよるので。でも呼んでくださる方はやはりスピリチュアル系のね、ヒーラーさんされている方だったり、アロマセラピストの方だったり。あとはエステティシャンされている方だったり。いろいろですけど。地域性もありますあよね、招かれた場所によって。

面白かったのがね、福井県の敦賀で講演した時にイスラエルの話ばっかりしてるんですよ。ユダヤ人とイスラエルツアーの話ばっかり。敦賀で講演会するのは2回目だったかな?だったんですけど。私もなんでしゃべってるのかわからないんですよ。イスラエルの話。

敦賀で。

そしたら、お客さんが教えてくださったんですけど。杉原千畝さん。

――シンドラーのリストの?

そうそう、パスポートだされた、あの方ね。杉原千畝記念館が敦賀にあるって。

千畝さんが発行したパスポートを持って、シベリア鉄道に乗ってきて船でわたってきて、最初にユダヤ人の方々が寄港した地が敦賀だったんです。

ユダヤ人があの時たくさんおりてきて、時計とか金のアクセサリーとかを地元の時計店に売ってお金に換えて、そのお金でアメリカに渡ったという。だからお風呂に入れてあげたりね、お食事を提供したり。敦賀の人たちたくさんユダヤ人に会ってるんです。

イスラエルやユダヤ人にゆかりの地だったんです。

そんなこと前の日に話そうなんて思ってないし。なんで敦賀でイスラエルだ、ユダヤ人だって思ってたんですけど。きっと多分その会場には、おそらくですが、過去生でユダヤ人だった方とかね。イスラエルにゆかりの深い方が会場に多かったと思うんですけど。

――「水の如く生きる」という生き方を講演会でお話されてる?

「水の如く生きる」というタイトル自体は、東洋思想の勉強に行った時に老子の言葉を学んだです。「上善如水」って。

これをいうと、みなさんお酒ですか?っておっしゃるんですけど(笑)

そうじゃなくて、「地上において最強の物質は水である」って、そう言う言葉が老子の言葉の中に入ってるんですよ。それで、「水五訓」って、黒田如水が作ったと言われる、これは俗説なので本当にそうなのかわからないですけど、「水五訓」という、水が固体になったり気体になったり、清濁併せ飲んだりって、いろんな言葉を残してるんですね。

私はお礼状にその「水五訓」を書いたポストカードを作ってお送りしているものがあるんですけど。

大激変の時代なのでね、今って。なので、そういうものに対応するには、時に固体になったり、時に水蒸気になったり、時に液体になったり。液体も注がれる器によっていろんな形に縦横無尽に変化できるじゃないですか。

そんなふうに柔軟に。

自分はこうなんだっていうような固定観念や枠を破って、できるだけ時代に対応して変化し続けるっていうことができれば人も。

だから水に見習って生きていけば人はそれこそ最強な生き方ができるんじゃないの、みたいなその思いを「水の如く生きる」という言葉に込めてたんです。

それを実はゆの里に来させていただくようになる前から使ってた言葉でblogのタイトルも「水の如く生きる」というタイトルになってたんですけど。講演会のタイトルもどうしますか?って聞かれたんだけど「水の如く生きる」しか思い浮かばないんだよね~って。

何話すか、わかんないし。自分自身がその行った先とか来場者、お客さまによって求められる話を縦横無尽に変化して話しするから、そうとしかつけられないよね、と。

それが図らずも「光を観る旅」と「水の如く生きる」で水と光ですよね。

だから水と光で黄色と水色とっていう(月のしずく色)そういうセットに。完全にそれになってたから。これも期せずして、ですよね。

  ≪水と光の色のパッケージ「月のしずく」≫

――ところで、大変化の時と言われますけれど。長谷川さんの捉えている変化とは?

個人的にはね、それぞれの魂が私はこういう風に生きたいって言うことを思いっきりそのとおりに生きられる時代が来るんだろうなって思ってるんですよ。

これまでは西洋占星術の世界で言うと、250年間「地の時代」と言われて、組織ありき。集団ありき。それに合わせて人は生きなきゃならないっていう、枠にはめられて生きていかなきゃいけなかったし、教育もそういうやり方でされてきたんですけど。

おととしの暮れかな?これが終わって「風の時代」になって。

もうなんていうのかな、バラバラ。多様性の時代とか言いますけど、それぞれがもう私はこう生きたい、こうありたいんだっていう風になってきたら、本当に一人一人がそういうふうになりたいっていう生き方で生きていけば、それができるし、逆に言うとそうじゃないと生き残れない。

だから上から言われたことを、ただこなしていればいいという、そういう仕事の仕方じゃなくて、それぞれが持っているクリエイティビティとか個性を発揮して

だからこういうSNSとか使って、自分のいいたいことを発信したりして。こういうのも自分が放送局もっているようなもんじゃないですか。動画が好きな人が動画だったり、音声が好きな人は音声だったり。文字が好きな人はブログだったり。

自分の好きな方法で自分の思いを発信していくみたいな。

そういう時代なので。まぁ自己表現とか、個性をどう発揮するかっていう。

そうすると社会の枠組みがどんどん壊れていきますよね。だから今学校に行かない子供がすごく増えていますけれど。それは集団に同化しなさいとか、個性をつぶしなさいっていう教育は日本なんか特にまだやっているので。それじゃ行きたくないですよね。

次世代型子供たちはいやだって言って。だから学級崩壊っていってますけど。私の目からみたら当然で。押し込もうとするから子供たちそうやって反発するけど、全員「よきに計らえ」ってね、昔の寺子屋みたいに、お習字したい子はお習字すればいいし、絵を描きたい子は描けばいいし。論語をやりたいっていう子は論語の素読をすればいいし。

みんながそれぞれ同じ時間同じ空間を共有してても、みんながばらばらに好きなことをやってていい。そんな時代になるだろうなって思っているんですよね。

――これからを生きる子供たちへのメッセージは?

なので、手掛けているのは。実は私、子供たちへっていうのは・・私産んでもいないし育ててもいないので、そういう対象がそんなに、親戚の甥っ子と姪っ子くらいなんですけど。

子供たちへというより同世代の女性たちが今ちょうど子育て真っ最中で育ててらっしゃる、そういうお母さまたちが、今言ったみたいに時代のはざまなので、自分たちが受けてきた教育を子供たちにやってもらおうとすると、学校へ行かない子供をもっているお母さんが結構多いんですよね。そういった方たちが相談に来られたりするんで、今のような話をして。

お母さんたちにまず意識改革をしてもらいたいっていうのがあって。

今、参政党っていう新しい党が2年前にできたんですけど。

――政治の世界にも?

はい、政治家の友達が多いので。

2009年に竜馬プロジェクトという政治団体があるんですけど、そこのリーダーの神谷宗幣さんという方に出会って。実はそれまでは私、自分の仕事の柱がスピリチャルとビジネスだったんですよね。

スピリチャルは自己実現というか、自分とはなんぞや?っていうのを探求していくのがスピリチュアルって言うのがすごく柱になっていくと思うんですけど。

そこからビジネスっていうのはお仕事することによって社会との関わりですよね。お金を稼ぐところまではいいんですけど。その先が必要だよって教えてくれたのが神谷宗幣さんだったんですよね。

初めて神谷宗幣さんに会って、懇親会で向かいの席に座ったんですけど、「水道の蛇口をひねって水が出るのも、ごみ収集車がごみを集めに来るのも全部政治なんですよ」って。

「だからどんな市会議員を選んで、その人を市議会に送り込むかによってみんなの生活にかかわってくる。だけど、政治の世界にはあんまり優秀な人がいなくて、経済の世界にはたくさんいるんだけど、政治の世界には優秀な人材を送り込まないと、このままでは日本が沈みます」みたいなことを、一対一でさしでガンガン言われるんです。

いやぁこの人の言ってることは正しいんだけど、たぶん98%にの人はわかんないだろうなって思って、それで神谷さんの活動を追いかけていって、政治家を集めて、超党派のグループを作って勉強会を始められたんですよ。議員さんが主体だったんですけど、一般人も入ってよかったんで、とりあえず混じって勉強させてもらおうと思って。

そしたら結構私のフェイスブックには市会議員さんとか県会議員さんとか、国会議員の人とか、結構友達がフェイスブックの友達がいるんですけど。多分スピリチャルの世界の人間でこんなに政治家の友達が多い人は結構珍しいと思うんですけどね。

やっぱり、自己実現して、お金稼ぐようになってその先、自分たちは昭和から平成、いい時代を謳歌してきましたけど、こっから先、そのまんま子供たちにそのバトンを渡せるかどうかって言ったらかなり今は「はてな」なんですよね。

この30年の間に日本が安くなってしまったっていうか。給料も全然あがらないまんま。

それはなんでなんだ?そういうことを伝える勉強会、女性のための社会学講座っていうのを広島の福山市でずっとやっていて、大阪でもその主催に携わったりしているんです。

やっぱり、我々が生きてきた世界をそのまま次世代に渡せるかって言ったら、そうじゃないよっていう部分がたくさんあるので。それを大人が先に気づかないと、子供たちに伝えられないので。

まず同世代の人たちと一緒に学んで、そこの親の背中を見て子供たちがだんだん気づいていくみたいなふうに。

なんかね、もう、砂漠の中に水を一滴まくような、ちいさな小さな活動なんですけど。

そういうことはやっぱり自分のビジネスだけじゃなくて、次世代につなぐことは何かしたいなと思っていて、これは採算度外視みたいなところでやっているところはあるんですけど。

――素晴らしいですね!ご自身が政治家にっていうのは?

それはね、私はね。フィクサーでいたいんです(笑)

それこそ次の選挙に出るかどうかっていうことをカードでリーディングしたりとか。

後は邪な(よこしまな)邪みたいなのをはねのけるにはどうしたらいいのかみたいな、茶坊主的な・・・(笑)ずるいんですけど。

私みたいなのは、あんまり表舞台に出ちゃいけないって思っているので。

それこそ政治の世界でスピリチュアルってタブーなんですよ。あやしいものって言われているので。

でもそれもおかしなことでね。平安時代にはね、朝廷に陰陽師がいましたから。星の流れを見て、そういういうこと決めたりとかしてたので。それがいろんな意味で分断されているところがあるんですけど。

――OLから25年。世界を変えるところまで。素晴らしい活動ですね。

今後の夢は?

今日現在でいうとね。なんかね。今お話してきたことは過去のこと、これまでのことなんですけど。自分の中で積み上げてきた、それが自分の中でそれが全部溶けているような気がするんです。

こっから先どうしよう?っていうまさに白紙の状態なんですね。まさにリアルタイムでいうと、瓦解しているような状態なので。

だから、今までやってきたことをそのまま継続しますか?ってみたいな・・・。じゃぁ、どうすんですか?みたいな。全く溶けちゃってる状態なんですよ。

―――わぁ、それはなんというタイミングのインタビュー

おもしろいです。だからちょっと未来のことが言えないみたいな。

ただね。個人的には今東京にレンタルオフィス借りてて、銀座の結構都会の真ん中にオフィスにあって、大阪も梅田の都会のど真ん中にオフィスがあるんですけど。

これ、言っちゃってね、いいのかな?橋本で拠点が持てないかっていろいろ今考えている最中、考えてるだけなんですけどね。

今年の誕生日が来るまで、私8月30日なんですけど、だから2022年の誕生日が来るまでは、いろいろ過去を振りかえって、検証したり取捨選択する時期なんですね。サイクル的に。

それこそはづきさんの数秘でいうとサイクル7なので、そぎ落としたり選定したりする時期なので、今、拡大したり新しいことをするタイミングじゃないんですよ。

なんか不思議とクラブハウスに呼ばれて今までの話をさせてもらったり。今もそうですけど。はからずも。振り返りをさせられている時で。

――このみずのたまアップされたら、もう個人セッションしてないとか?

ふふふ、わかんない(笑)

観音カードはずっとやってきたのでね、あれは手放すことはないと思うんですけど、一生やるとは思うんですけど。

けど、だんだん皆、カードリーディングを始めたころからすると、みなさん自分自身のセンサーみたいなものが整ってきておられるので。「何にもわかんないんです、どうしたらいいですか」っていう質問はもうここ5年ほどほとんどなくって、確認に来られますよね。「今かくかくこういう計画があるんですけど、それであってますか?」って尋ねてこられる方が多いんで。まぁ裏どりですよね。

――答えは自分の中にある?

そうそうそう。最後の背中を押すみたいな風になっているので。

そういう役割であれば多分これからもさしていただくと思うんですけど。

ただ何となく昔みたいにセッションばっかりやってる、一日中個人セッションやってるみたいなふうじゃないような気もしてるんですよ。

ただね、本当に拠点もどうなるかわかんないし(笑)、それこそ世の中の情勢もね、金融リセットくるかもとか、いろんな話も今出ているので、それに伴って自分の生き方も変えていくだろうなって。

これが実は2011年、震災が起きたあの年もちょっと似たような経験をしているんですよね。12年くらい前にね。

あの時はちょうど10年間お世話になっていた師匠のところから独立して、カードだけ持って、手漕ぎのボートで漕ぎ出したみたいな時だったんですけど。それとあと震災があって当時横浜に住んでいたんですけど、引き上げて関西に戻ってきて実家に戻って。足場もちょっと変えるみたいなことがあったんですけど。

12年って言うのは面白い数字でね、ちょうど12年前もおんなじような状況でしたね。3.11の時って、世の中みんな止まったじゃないですか。この先どうしよう?って。

――もう一回自分を問い直すみたいな。今も流行り病もあるし。

本当にリモートワークも増えたし。東京とか大阪で、都会で通勤ラッシュにもまれて通勤する人が疑問を感じて移住しちゃったりとか、それこそ会社勤めやめちゃって半農半エックスみたいなそういう生き方を始められた利する方も多いじゃないですか。

なんかね3.11のあの頃をすごく思い出すんですよ。ちょっと似てるかもしれない。

星回りもそうなんです、今っやっぱり。

――長谷川さん個人もだし、おおきな意味で世間も?

そうですね、西洋占星術的な話をすると、今木星という星が、うお座に入っているので。

うお座って12番目の部屋ですから、集大成的な時期なんです。

今年の5月11日まで木星がうお座にいて、過去の総決算をしたり、清算をさせらたり、あとは疲れをためている人は体調が悪くなってクリーニングしなきゃいけないとか。

今まさにそういう時期だったりするので。だから私なんかはちょっと体調を崩したりしたこともあって、今ちょっと仕事のぺースを落としているんですけど。そういう風にね、振り返り、総決算的な12年ぶりのそのタイミングでもあるので。

――そんなタイミングで・・・総決算みたいな振り返りのインタビューをさせていただいて。

最後に、長谷川さんがずっと大切にしてきたゆるぎない自分の中にあったこと「みずのたま」を教えてください。

ほんとうのことを知りたい。

ほんものに会いたい。」

その欲求だけはすごく強かったんですよ。だから20代の頃にスピリチュアルな世界に分け入ったのも、その衝動みたいなもんです。中から突き上げるように出てくる。それでいろんな人に出会っていって、自分をチャネラーに導いてくれた師匠との出会いもそうだし、10年間そこにいてその先、今度は自分の中の本当を観たいという衝動があったからそこを離れてまた11年動いてきてっということなんですけど。

なんかね、ずっと。もう本当に嗅覚だけで生きてきたんです、私(笑)。理論とか理屈じゃなくて。「今これだよね」って湧いてくるんですよね、なんか不思議と。

だからお仕事も根拠のないクリエイティビティみたいな。

「今これやりたい」みたいなね。そういう衝動にかられて、なんだかわかんないけど、今これをやんなきゃいけないみたいな。サインみたいなのを感じるんですよ。

ゆの里さんもね、重岡社長のお目にかかたのも2015年の3月31日。日付まで覚えているんですけど。それもね、なんかほんと、ホンモノに会いたいとか、真実を知りたいとか、そういう欲求が絶えずあったので、だったら長谷川さんどうしても会わせたい人がいるって導いてくださったっていうのがあるんですけど。

そのなんていうのかな、知的好奇心って言ったら言葉があれですけど。好奇心と、自分の中でこれだって思えるものに嘘をつかないってことですよね。

それだけは捨てたくないなと思っているんです。

―――節目の時に、本当にどうもありがとうございました!

(このインタビューは2022年4月13日に収録しました。)

私、いつも笑ってる
ぶれない、何にたいしても。
「感謝」の声を聴く
「仕事を通じて恩返し」
自由に、楽しく。
自分の心を満たしておく
今を。一瞬、一瞬。
死ぬ時が人生の最高峰(前編)