2022.6.6
自分の中から湧き上がるものに耳を澄ます

光田 菜央子

(有)テンプルビューティフル社長

1992年アメリカ、バージニア・ビーチのエドガー・ケイシー財団への訪問を機に、仲間と共に1993年3月、日本エドガー・ケイシーセンター設立。設立準備委員時代よりスタッフとして運営に携わる。1996年6月、東京の高円寺にてエドガー・ケイシー製品の専門通販ショップとして、テンプルビューティフルをスタート。2009年に横浜市都筑区に移転、現在に至る。

◆テンプルビューティフル https://www.caycegoods.com/

毎日がエドガー・ケイシー日和

――こんにちは。今日の「みずのたまインタビュー」はテンプルビューティフルの社長さん、光田菜央子さんに来ていただきました。もう長いお付き合いになりますが・・・。私はいつも光田さんのことを「姫」って呼んじゃうので、今日も「姫」と呼ばせてもらうかもです。

それでは、まずは自己紹介をお願いします。

テンプルビューティフルという会社を経営しています。今年で26年になります。

その前にはエドガー・ケイシーセンターの事務をしながら、エドガー・ケイシー製品を必要な方に通販でお送りするという仕事をしていて、それが高じて正式にテンプルビューティフルという会社にしたんです。

そこでは何を扱っているかというと、エドガー・ケイシーという20世紀最大の霊能者、霊格者と言われる方の情報に基づいた健康製品、ひまし油とかマッサージオイルとか、そういった商品を扱っています。

――その会社経営の前は何をなさっていたのですか?

広島出身なんですけど。広島で仕事を。普通のOLとして。

当時はね、女性は事務じゃなくて、事務の補助。あんまり、仕事が振り分けられなかった、自分に。

私はもっと仕事をしたいのに、仕事が来ないって感じなんですね。で、新人社員の補助に回される。

そんな感じがあって、あんまり嬉しくなかったんですね。うつうつとして。

――補助じゃなくて、自分でもっとやりたかった?

自分のアイディアでどんどん仕事をしたかったのに、「君は座っていればいいよ」みたいな感じで。それは面白くないと。

で、ちょっと、日本を出ようと思って、カナダに半年くらい行って。

帰ってきて、今度は広島ではなく、「司法書士になったらいいんじゃない?」って母に言われて、東京に出てきたんですよ。

司法書士を目指す専門学校に行き始めたんだけど。行き始めてわかったんですけど、私はとっても「合いません!まじめな仕事は!」(←きっぱり)(笑)

――当時、お母さまは姫(光田さん)をどうとらえてたのでしょう?

うちが自営で、自営って浮き沈みがあるじゃないですか。そういう仕事ではなく、堅い仕事についてほしいと思ってた。銀行員か公務員か、それに類する堅い仕事についてほしいって。

司法書士だったら、弁護士ほどは難しくないので、女性として自立していくにはいいじゃないって言われて。行き始めたんだけど、とってもとっても、つまらなくて。ほんとにつまらなくて。で、うつうつとしているうちに、横浜で不動産会社をやっている叔父から、「うちにこない?」といわれて、叔父の会社に行きました。

【エドガー・ケイシーの世界へ】

エドガー・ケイシーの研究家をしている兄がいるんですけど、その頃、その兄がエドガー・ケイシーの本部があるアメリカへのツアーを企画していて。それに行って、アメリカのアカデミックなエドガー・ケイシー財団の様子に感銘を受けて、そこからエドガー・ケイシーの勉強というか学びにどどどって入って、仲間とエドガー・ケイシーセンターを日本に作ったんです。

最初は叔父の会社に昼間は勤めて、夕方ケイシー・センターの事務所に行って仕事をしてっていうのをずっと続けていたんですけど。やっぱりボランティア感覚だと私は納得しないんですよ。自分の中でね。ちゃんとやりたいんですよ。

で、ちゃんと会員の方に会報を作りたいし、会費に見合う仕事をしたいので、会社を辞めて。

当時兄が独り暮らしをするっていうので、一緒に暮らし始めて、ケイシーセンターの事務に入ったんです。

最初はボランティアだったんですけど、そのうちちゃんとフルタイムでケイシーセンターで仕事始めたので、お給料もらうようになったんですけど。ケイシーセンターはお金がないので、給料3万円だったか4万円だったか。

――東京暮らしで3万?

兄と暮らし始めたから。一人暮らしじゃなくて。

そのうちに、エドガー・ケイシー療法で使うひまし油とかマッサージオイルが欲しいという方がいらっしゃるので、「じゃあ、会員向けに何か商品を発送する仕事をするわ」って言って。それはケイシーセンターでは物販ができないので、叔父の会社に物販部を作ってもらって、そこで始めたんです。

そこからの給料が3万で、ケイシーセンターからの給料が3万、合計6万円が当時の私のお給料。

――それがテンプルビューティフルの始まり?

そうですね。その時はテンプルビューティフルという名前ではなくて叔父の会社の名前なんだけど。

――独立して会社を作ろうと思ったきっかけは?

それはね、兄が結婚することになったんですよ。

一緒に暮らしていたから家賃かからないじゃないですか。6万円でも、別に食費だけあればいいから、まぁいいやって思ってたんですけど。

結婚するなら一人暮らししなきゃなんないし、母は相変わらず銀行員か公務員になれって言うし。(笑) 田舎に帰れって言うし。それは私にとってはちょっと苦しい。

じゃあ、せっかくなんでね。私の身ひとつ養えればいいので、なんとかなるかなと思って高円寺にテンプルビューティフルという会社というか事務所を開いて、自宅兼通販会社を始めました。

――出発地は高円寺?

そう、高円寺南。中央線沿線。

――ディープなカルチャーが花開く街?(笑)その後、奥沢へ。そして横浜へ。ひとりで始めた会社が今スタッフさんは何人に?

今、社員が6名と、パートさんが5名くらいかな。

――それだけのスタッフさんを預かっての経営者さんになって。すごい。

まあね、おかげさまで、ありがとうございます。

始めた時はオイルマッサージなんて、なに?って感じで。体にオイル塗るなんて、よくわからない療法だったけど、その後アーユルベーダが流行ったりして。みなさん、体にオイルを塗るっていうことに抵抗がなくなったので。

まぁ時代の波にも乗ったしね。

――そもそもね。エドガー・ケイシーに出会う前、見えない世界には興味があったんですか?

あったんです、私。子供のころからあったんです。

うちの兄がね、うちはとても物質的で、父は物質的でしたけれど、そういった雰囲気のない家だとよく講演会で言いますけど。おかしいな~と(笑)。

『ムー』はあったし、心霊写真特集の雑誌はあったし。おかしいなとは思ったんですけど。

子供のころから、なんとなく輪廻転生はあると思っていたんですよ。

どうもこの地球に私がはまってないという感じがあって。なんかこの物質社会ではない世界がどっかにあると思っていましたね。

――誰かに教わったわけでもなく?自分で感じてた?

幼稚園の脳みそで考えることなんて、たかが知れてるので。

大した話じゃないんだけど、なんかね。うん。

――そういう気持ちがありながら、ご両親は現実主義。そこを飛び出して、今は?自分を生きてる感じありますか?

そうね、割と最近かもね。肉体にはまり始めたのは。

――それまでは?どんな葛藤が?わかってもらえないとか?

・・・そうね、なんと言ったらいいのかな。

いつもどこかに、誰かを探している感じ。

――居場所がここじゃないって感じ?

そうかもね。

――(地球に)はまったきっかけみたいなのは、何かあったんですか?

なんだろうね。自分でね。それはね、キネシオロジーのお友達とかに「テーマは何?」とか言って調べてもらうじゃないですか。

まずは、「人間になる」からって(笑)。

――人間じゃなかった?(笑)

人間をちゃんと観察して、人間はこういう人だとわかって。そこからスタートですねっていうのが、もう6.7年前。

――そういえばね。私も「姫」って呼んでますけど。それって私だけじゃないんですよね?

なぜか何人かから「姫」て呼ばれますけど、私もなぜかはわからない。理由が。

――人間界じゃないところから来た?(笑)

わかんないけどね~。

――そうやって、目に見えない世界のことが、魂のごちそうになると情報を発信されているじゃないですか。長くやってこられて最近世間が変わってきたとか、追いついてきたとか感じます?

スピ系とか、よく言われる言葉も出てきたし、スピリチュアルに関心のある方も多くなったけど。

私の周りはみんなそういう方なので、一般の方とは乖離している。ふつうに会社に行ってサラリーマンしている方とはちょっと違う方々とのコミュニティになっているので、居心地はいいけど。

でもそういった方が読む雑誌が増えたりね。昔は『たま』しかなかったけど。しゃれた女性誌みたいなのも出てきたし。

時代はどんどん変わってきていますよね。

――精神世界という業界にいながら、ビジネスとして会社経営に成功しているって。地に足をつけたスピリチュアルですね。とはいえ、会社経営で大変だったことはなかったですか?

最初はね、エドガー・ケイシーの仕事をするって思ったけど。通販だから、注文があって、請求書書いて、荷造りして発送してって言うのを毎日毎日繰り返しているわけですよ。

最初は注文もないし、電話もチリンとも鳴らないし、ファックスもならないし。家賃、高円寺24万だったんですよ、都内だから。で、24万の家賃を払おうと思ったら、結構大変なんですよね。

知らないから。借りちゃったけど。

だから最初はお金がね、貯金通帳に1000円以下の日。月末は必ず1000円以下でしたね。

それをかき集めて払って、足りない時は母に電話して10万か20万か送ってって言って。で5日くらいになるとお金が入ってくるんで、それで返してって。自転車操業

最初は私、これを一生続けるのかって思って。請求書作って荷物作って発送してって。

私、エドガー・ケイシーの仕事してるけど、やってることはなんかお金の計算ばっかりだなって。最初はね。ちょっと一年くらいはね、これ一生続くの大変だなって思ったけど。

そのうち余裕が出てきたし。そのうち、いろんなことに取り組め始めたし。

怖いもの知らずで仕事始めちゃったから最初何もわからなかったけど、エドガー・ケイシー財団から講師呼んで、海外から呼んで。とんとお金ないのに、講師呼んでセミナーしたし。

本当に怖いもの知らずだったと思いますね。

――その怖いもの知らずで、やろうって思った原動力はどこからきてたと思います?

自分が聞きたいっていうのと、この素晴らしい情報をぜひ多くの人に知ってほしいていうのと、お金足りなかったら、夜、六本木にでも行こうと思って(笑)

――(笑) そうなの?

昼間はケイシーの仕事するにしても、夜は六本木でアルバイトすれば、二か月くらいアルバイトすれば、借金でも返せるかなって。本気で毎回毎回そう思ってました。

――でも、しなくて済んだ?

しなくて済んだ!

――そうこうしているうちにスタッフさん雇うようになって?順調に?

最初の社員になった方は、最初はパートさんだったんです。4時に帰るパートさんだったんですけど。4時に帰る”パートさんと私だけが食っていければいいシリーズ”でいたんですけど。

ある時、社員になりたいって言う方がいて。社員になるんだったらやっぱり覚悟を決めてうちに来るわけじゃない?一生この人の面倒を見ると思ったら、そこで初めて覚悟を決めたんですよ。

――おお~。社長として!

そしたら、二人目の方が社会保険に入りたいって言われたんですよ。社会保険かって・・・。

で、二人目だからいいじゃんって思ったんですけど。そこから会社の体(てい)がなしてきた。

だから社員さんに急かされて、会社になっていったって感じですね。

――なるほど~。そして、特派員気質と経営者気質がうまくミックスしてきた?

そうですね。だから今も、テンプルビューティフルはエドガー・ケイシーがメインだけども。私が気に入った人を呼んでくるから、いろんな人がセミナーにね。講師になってるし。

今、海外から来てるのはエネルギーワークの方が2人と。風水。マークの風水と、あと、うちの兄のエドガー・ケイシーとって感じですね。

――ここ最近、姫が変わったと聞きましたけど。そのきっかけは?

まずコロナがきっかけだったんですけどね。

コロナがあって、4月、5月、6月。4月はあの入江富美子ちゃん、ふうちゃんのへそ道の合宿が10日ぐらい入ってたし、5月は1か月間ヨーロッパだったし、6月はバリだったんですよ。

――それが全部とんだ?

そう、全部とんだ。本当に途方にくれたんですよ。

で、社員はちょっと勤務時間を短くして。週に2、3日だけにしよう、してほしいっていう希望があったんで。じゃあ、いいよって言って。

私もリモートにして自宅で仕事にして、社員も週に2、3日。それから勤務時間を短くしてっていう形態になったんですね。

まあ、とにかくこの1年は社員が健康であればいい、それが1番、優先順位にしよう、と思って。

※「同じ釜の飯を食う」インタビュー当日はちょうど月イチ、全員が同じお弁当をいただく日。

そしたらですね。夏に、ディーパック・チョプラさん。

ディーパック・チョプラさんの3週間のね、瞑想のプログラムを送ってくださった人がいるんですよ。毎日毎日送られてきて。

それを自分でテーマに沿って、自分の課題を解いていくっていうのをやってたんですけど。1週間ぐらい経ったら自分がまた主催者になって、同じようなプログラム毎に毎朝毎朝発信するっていうことを始めたわけですよ。

で最初はね。自分が起きるのは朝7時半ぐらいだから、8時に(課題を)送ってたんだけど。8時に送ったらみんなもう起きてるわけですよ。じゃぁ、みんなが起きる前に私も起きて、毎朝1番最初に、これが見れるようにしたいなと思ったから、起きる時間がどんどん早くなっていくわけ。

6時半、6時、5時半、え?まだまだ起きてる人がいると思って最終的に5時になったんですよ。5時起きに。ま、3週間だから、いいなと思って、3週間、5時に起きました。

私、朝起きるのすごい苦手だと思っていたけども、やればできるじゃんっていうのが、まずそこであったんですね。用事があれば起きれるんだ。

で、それはそれで3週間で終わりました。

今度、秋になると、ビジネス講座でね。毎朝ビジネスの発信をされてる方がいて、無料でね。朝6時半からそのビジネス講座がある。それに参加するようになったんです。

そしたらやっぱり朝は苦手だったけど、朝6時に起きるようになったんですね。

あ。私、用事があるとちゃんと早起きできるんだと思って。

6時半からのそのビジネス講座を受けてたんだけど。でも人の話を聞き続けるのは、ちょっとやっぱりね、もったいないなと思って。

どうせ朝起きてるんだったら自分から発信しようと思って。

で、これもちょっと逡巡があったんだけど、朝6時半から朝の瞑想を主催し。主催して40、50人の方と朝の瞑想を始めたんです。で、そういう朝の瞑想を始めるために私、今5時起きなんですね。

で、5時に起きて、ちょっと目覚ましのためにお風呂入って、公園に散歩行って、6時になったらここに座ってパソコン開けてっていう。そういう日がずっと続いたんですね。

そういったこともあって、なんかね、自分に対して、「あ、自分がすごく変わってる」。

朝起きるだけでなんかすごく気持ちがいいし。

私は夜型で、起きれないと思っていたから、朝。朝遅い人間だとずっと思っていたからね。

小学校1年から私、朝7時半以前に起きたことないんですから、用事がない限り。朝7時半より早く起きるのもったいないと思ってたから、うん。(笑)

――姫のイメージは確かに夜型でしたね。そうそう、そういえば、箱根に旅した時もみんなと一緒だったのに、1人朝5時に起きてね。旅先でも1日も欠かさずっていうのは、すごなって、あの時も思いましたね。

もう習慣になっててね。

エドガー・ケイシーの『神の探求』っていう本があるんですけど、そのアファーメーションを毎朝、毎朝、みんなと唱えるんですけどね。

そういったことも含めて、なんか自分の流れがすごく変わってきて

瞑想もね。もう雑念が起きないっていうか、もうね。すごい気持ちいいんですよ。もう空っぽなので。

もう静かな海に漂ってる感じで、そうするとね。日常的な思考がすごい軽いんですよ。

例えばね。例えば、「ほーりーほんとに嫌だよね。もうブツブツって」、なんか思うことあるじゃないですか。言わないけども、人の悪口は言わないけど、でも頭の中でほんとに「ほーりーしょうがないよね」って思ったりすることが昔はあったけど、それがないの。

誰に対しても、ぶつくさは言わないし。誰に対してもぐちゃぐちゃ言わないの。だから頭の中がね、すっごい爽やかなんですよ。いつも思考が。

――それは早起きだけじゃなくて、瞑想もしているから?

もちろん瞑想もしてるけど。以前だったら多分、むっとして、ほんとにあの人はっ・・・っって思ってた状況でも思わなくなったし。

あのね、悪口は言わない。愚痴を言わない。それから、誰かのこと、ブツブツ言わない頭って、ほんっとに軽いですよ。

――すごい。それは。目指すところは、そこですけど。そんな簡単に到達できると思えない。

まあ、私も瞑想始めて1年半だけど。

すいません。エドガー・ケイシーは瞑想勧めておりますが、はい!やっておりませんでした。たまにしか。(笑)

だから、ちゃんと始めたのはこの1年半なんだけど、でも始めたらこんなに軽くなるもんだと思って。で、自分にびっくりしてるんですよ。

――それは姫だけじゃなくて、その40人50人のお仲間もだんだん、そうなってきた?

そうそうそう。家族も変わったし、自分も変わったっていうので。だから、だから続いてるんだと思います。

――そういう風になりたいって思ったら、朝の姫の瞑想会に参加すればいいのかしら?

実はちょうどこの6月で1年半なので、1年半でちょっとやめるんですけど、1回ね。

というのは、今度は誰も待ってない、誰もいないところで朝起きて、自分で瞑想するっていう習慣付けを始めようと思って。ちょっと、ハードルあげようと思って。一時1回やめさせていただくことにしました。

でも、でもね、皆さん、自分の中で変化があるから続いてるんだと思う。120人ぐらい申し込みがあって、それで40人ぐらいなんです、コアな人はね。だから続かないのが普通なんですよ。あと80人続いてないわけだから。

その中で、広い道は行かずに狭い道に行くって決めた人たちの変化はやっぱ、すごいですよ。

厳しいけど。

――ご自身でセミナー講師っていうのはやらないんですか。

私ね。学校の先生みたいに人前で立って喋るの、すごい苦手なんですよ。

――今、カメラの前では十分できてるけど(笑)

こうやって雑談はいいけど、さ。うん。

――いや~。でも、もっと聞きたいわぁ。

ありがとうございます。

――苦手って言っても、周りから必要に迫られたらやるかもしれないね

はい。ご要望が、そのうち、あればね。はい。

――変わってきたんですね~

そしたら、去年ご縁があってご存知のように、私、プラブヨガっていうちょっと不思議な、あのユニークなヨガ始めたんですね。

それも普通は私ね。長続きしないんです。何やっても長続きしないんだけど、なんかそのヨガはね。普通のヨガとちょっと違うとこもあって、続いてるんですね。

――写真見せていただいたけど、ほんと、すごいのね。

はい。多分、この辺で、私のヨガの姿が多分、この辺で映ってると思いますよ。(笑)

そう、なので、これもあの早起きが苦手と一緒で、私は小学校、保育園の時から体育というか、運動が大の苦手だったのね。

飛び箱を飛べません。最後まで泳げません。マラソン大会はドベから2番目です。ドベの人は私の倍、80キロか90キロぐらいある同級生だったんで。

とにかく運動はからっきしダメだったんですよ。で、背中も硬いし。

で、ヨガは私の人生にないと思ってたんです。この人生ではね。来世ではあるかもしんないけど、今世ではないなと思ってたんだけど、まあご縁があって始めたら、始まっちゃったんですね。

――もうすっごい綺麗な姿ね。

あれ、あれの前にね。言っとくけど、プラブヨガっていうのは、あのポーズの前に2、3時間かけて体を作っていくんですね。そこに必要な筋肉を作っていくので、準備が3時間ぐらいあるんですよ。

――そういうトレーニング的なものも苦じゃなくなったの?

あの~。お尻、叩かれたらね。やっぱりね。先生がね。褒めてくださるんですね。

膝が曲がってようが、少々ズルズルしようが、パーフェクトって言ってくださるので頑張れるんですね。

――褒められて伸びるタイプ?

はい。

――見えない世界に興味があって、エドガー・ケイシーに出会って起業し、従業員もいる。そんな中、コロナをきっかけに、苦手だと思ってた早起きやヨガもして、自分っていうのがさらに深まって、ますます輝いてる感じですね。

すごい楽になりましたね。だから、その(地球に)ハマってない感が、この2年でようやくなんか払拭できた。(笑)

――こっから先、どこまで行っちゃうんでしょうね。

どこ行っちゃうんでしょうね。ま、でも、今はまだ空白かな。うん。

でも、この体とこの気持ちでどこに運ばれ、それこそ、あのしんちゃん(古田真一さん)と一緒でどこに運ばれるんでしょうって感じでしょうかね。 お任せ!!

――でもそんなね。なんか、天女のような姫だけど、私とおんなじ50年来のチューリップファンじゃない?そういう人間的なミーハーな気持ちも少しは残ってる?

そういう気持ちはまだある。もちろんありますよ。

人間としてそういうミーハーな気持ちもまだある。

まあ、20パーセントぐらいだけどね。すごい少ない。

――これから先、今、透明、何もない空白っておっしゃったけど、行ってみたいとか見てみたい。世界とかっていうのは、ある?

今、ヨガも始めたし、瞑想も始めたしっていうところもあるけど。

元々私、探求心が、あのまあ、何か知りたがりやだからね。特派員もそうだけど。

今はね。人間の宇宙みたいなのが知りたいですね。

――人間の宇宙?

人間が持ってる可能性。

だってヨガの先生。インド人なんですけど、ヨガの日って食べないんですよ。朝から水も飲まない。ご飯も食べない。夜にちょっと食べるだけなんですけど。

でも筋肉ついてるし、柔軟だし。人間の体って食べなくていいんだって思うしね。で、プラーナって言って、プラーナを充実すれば、ほんとに食べなくていいっていうのが目の前にいるじゃない。

それから、いろんな治療家の人と会うと、治療家の人はいろんな手法があるけども。

例えば別に触らなくてもいい人もいるし、言葉だけで、言葉がけで体が変わっていくし、あと音叉もそうだし。いろんな植物、植物もそうだし。いろんなきっかけで人って変わっていくしね。潜在能力いっぱいあるし。

なんか人間の体って不思議だなって思うことがいっぱいあるので。人間の体の不思議さを探求したいなと思ってる。

自分の、自分が持っているその潜在能力

まだまだきっと開花してないと思うので、それを多少は開花させて死にたいと思うし。

―― そんな変わりゆく姫だけど、ずっと変わらない自分の「核」みたいなのがあるとしたら、それは何ですか?

まず、好奇心。探究心。知りたがり

自分の中の1番コアはね。

さっきうちの会社にいらしたけど、とてつもない本の量だったでしょ。

今は、少なくなったんですよ。目も悪くなったし。でも一時期はね。1年300冊ぐらい読んでた。

うち、光田家ってね。全員家族全員が本好きだったんで、家中が本棚だったんですよ。壁という壁が全部本棚だったんですよ。

で、両親が亡くなった時に本を全部うちの町に寄付したんだけど、大量の本でしたね。

—-光田図書館だ!!情報源は本からが多いですか?

基本は本だな~。うん。

でも最近はね。本をできるだけ読まないように気をつけてるんだけど。

やっぱり人から与えられる情報じゃなくて、自分の中から湧き上がる情報を大切したいと思って。

本を読まないようにしてるんだけど、つい読んじゃうんですよね。これが。

—-好奇心の行くベクトルの先が深いとこになってきた?

あのね、入江富美子ちゃんもそうだけど、入江富美子ちゃんは1回、本全部処分してあの人からの情報を遮断したというけど、そこまではいかないんだけども。でも自分の中から湧き上がるものに、もう少し耳を澄ませようと思って。

――自分の中から湧き上がる!でも荒波が立ってるとね。それが聞こえない・・・。

そうなの、そうなの、そうなの!!

えっと、ヴィパッサナー瞑想。10日間の合宿なんですけど、朝4時半から夜の8時半ぐらいまで瞑想するんで、1日10時間以上。

自分の頭のおしゃべりのうるささに、ほんとに落ち込んで。

ずっとおしゃべりが止まらないんですよ。そのおしゃべりがくだらなくて落ち込むし、うるさいし。

最初の3日半はね、発狂しそうでした。自分の頭の大音響で鳴るおしゃべりに。

でも、だからそれを自分で知ってるので、今の頭の静けさよって感じ。

――ちょっと想像がつかない・・。

ものすごい軽いです。おかげ様で。

――素敵。そんなタイミングでインタビューさせていただいて。ありがとうございます。

でも成長が、また3年後5年後ね。

同じとこにいたら、やだな。私も。

――3年後5年後。またお話聞かせてもらおう~。よろしくお願いします。

今日はありがとうございました。

好奇心・自分に嘘をつかない
信じるということ
「ほんとうのことが、知りたい」
自分にちょうどいい感覚を分かち合う
「仕事を通じて恩返し」
「感謝」の声を聴く
「自分に嘘をつかない」
「色を知ると人生楽しくなる」